いろんな業界を別の業界にたとえてみよう

そういうことをやるのが生産的なこととも思えないけど、「ビール醸造士だが質問ある?」の中でビール会社を自動車メーカーにたとえた箇所がおもしろかったので。たいていの寡占業界に応用がきくよね。

最初からえらく狭いところにいってしまってどちらの業界の企業様にも申し訳ないけど、まずは英和辞典業界から。
研究社=トヨタ=キリンは保守本流的な感じでシェアも昔はそうだったんだろうなと思う。本当はこういうところがしっかりしないといけないんだよね。研究社の宝島/副島事件は不幸だったけど、はるかに規模の大きい業界の盟主だったキリンビールでさえ新興勢力に足をすくわれたのだからしょうがないのか。
大修館書店=アサヒはジーニアスの快進撃とスーパードライが重なるし、個人的にはどちらも品質を評価していないという意味でも共通している(失礼!)。自動車メーカーだとどこだろう。一本足打法的な会社ってあまり思いつかないな。スバルだと業界内のシェアが違いすぎるし。
三省堂=ホンダ=サッポロとするとホンダとサッポロから怒られそうだけど、ウィズダムの先進性はホンダっぽいと個人的には思っている。むしろマツダかな。
あとは旺文社=日産=サントリー? この辺になるともう適当。小学館を忘れていたけど適切なたとえが思いつかない。

次は電子辞書業界。4社しかないから簡単だろうと思ったけど意外と難しい。カシオ=トヨタ=アサヒ。シャープ=ホンダ=サントリーキヤノン=日産=キリン。セイコーインスツル=マツダ=サッポロ。あたりでどうか。今ひとつ自分でもしっくりこない部分はあるが解説は割愛。

なぜザ・プレミアム・モルツはこんなに売れるのか?
片山 修
4093798168

辞書批評

ちょっと前に話題になった、「Google 辞めました」という記事。その中に、いい辞書とはどういうものかについて触れた箇所があったので引用しておく。

辞書というものは、質が玉石混淆(ぎょくせきこんこう)、つまりピンキリなのだ。悪い辞書というのは、中途半端に目新しい語彙を入れている割に語彙の選択がいい加減で基本的な語彙に漏れがあったり、熟語の選択基準が不明確だったり、表記に不統一があったり、語釈(単語の意味に対する解説)に漏れがあったり、ひどいものになると 1ページに 1個ぐらい誤植があったりする。いい辞書というものは、そういうすべての点についてしっかりしている。

しかし、ある辞書がいいか悪いかということは、ぱっと見ではわからない。長い時間かけてじっくり使ってみてはじめて、そこに魂がこもっているかどうかわかるものだ。

日本語入力を仕事にしていた方だから、まったくの素人とも言いがたいが、(冊子の)辞書をつくるという経験を経ないで純粋に辞書を使う立場からここまでの洞察に行き着いたというのは素晴らしいと思う。これまでの自分の仕事が「悪い辞書」をつくるという結果になってなかったか、改めて振り返る機会を与えてくれたことにも感謝したい。id:takeda25さんのこの先の仕事が、その能力に見合うだけのものになることを願うばかりである。

本題に入ると、同記事のこの部分は辞書批評の出発点として非常に的確なものになっていると思うが、実は辞書に対する批評が今の日本で盛んに行なわれているとはいえない。英語の学習者向け辞書の場合でいうと、秋に次年度の学校推薦を目指して刊行され、そこから新学期にかけて専門誌や学習雑誌で若干の紹介記事が掲載される程度だ。本当に腰を据えた批評をしようとすれば、使い込むための時間がもう少し必要だろう。でもそれではとても商業出版のペースに載らない。批評する人がふだんから関心を持っている項目がいくつかあり、そこを引いてみてあれが載っているこれが載っていないと記す第一印象的な記事を執筆するのがせいぜいで、それを超えるものを期待しても、数か月程度の期間ではおそらくないものねだりで終わるだろう。そうした表面的な記事では、なかなか辞書の質そのものを云々するところまでは踏み込めない。

でも雑誌ではなくて単行本という媒体なら可能だと思う。もっと多くの辞書批評本が刊行されてしかるべきだと思う。

さて、辞書はつくりあげるのに時間がかかる。初版をつくる時からいい辞書であるのが一番いいのだが、かりに初版の出来が不本意であっても、いい辞書に育てていくという気概を持つのも大切だし、いい辞書ができたと思っても改訂を重ねるたびにバランスが悪くなっていつのまにか「悪い辞書」になっている例もあるだろう(と書きながら実はある辞書のことが頭にあるのだが名指しは避ける)。自分としてはとにかく精進あるのみ。

(なお、下にリンクした書籍は本文の内容と直接の関係はありません)

英和辞典の研究―英語認識の改善のために (関西学院大学研究叢書 (第120編))
八木 克正
475892130X

ウィズダム英和辞典
井上 永幸
4385105693

辞書からはじめる英語学習
関山 健治
4095101326

エアライン&エアポート2012

今日発売の週刊東洋経済のエアライン特集、ふだん飛行機にはあまり乗らないから関係ないんだけど興味深く読んだ。海外LCCの動向を扱った記事のうち、サウスウエスト航空についての情報が目を引いた。ビジネス書では必ず出てくるイノベーターだけど、2009年・2010年の営業利益率を見ると、赤字こそ出していないものの、フルラインの従来型航空会社に近い低水準になっている。この両年はキャセイパシフィック航空のほうが高い。

実は、黒字続きの同社は賃金カットができず、人件費が業界一高いとされている。また生産性向上も限界に近づいていることから、より高い料金を設定しないと利益が出にくい構造になっているのだ。(p. 53)

賃金カットができないから人件費が業界一高いという論理はよくわからないが、要するに儲かっているから昇給率も高くしてきたということだよね。ここもイノベーションのジレンマからは逃れられないのか。

週刊 東洋経済 2012年 4/7号 [雑誌]
B007N6N1W8

プログレッシブ英和中辞典第5版

入手してから1か月足らず、そんなに引き込んだわけでもないけど、新刊の小学館『プログレッシブ英和中辞典』第5版について記録しておこう。

紙面の美しさは前の版から比べると飛躍的に向上している。これなら普段から手元に置いて気になる単語をすぐに調べる気になれるはずだ。2色刷だったのをやめて単色にしたのもいいかもしれない。

この辞典の初版が出たのは1980年で、僕は高校に入ったときに親からもらった。2000ページぐらいあって重いのに通学でも持ち運んだものだ。大袈裟に言うと今日あるのはこの辞典のおかげかもしれない。大学に入ってからも使っていた。H教授から「これはなかなかいい辞書ですよ」と言われてちょっと誇らしかったものだ。今思うともっと大学生にふさわしい辞書もあるよ、という含意があったようにも思えるが。
そう、昔(30年ぐらい前)は高校生が使うような辞典というのもそれなりに選択肢はあったんだけど、今の中級クラス(6〜7万項目ぐらい)のが多くて、それだと物足りない人は中辞典つまり9万項目以上ぐらいの一般社会人向けのものを使うことが多かったのだ(と思う)。研究社の英和中辞典が一番有名で売れていたかな。小学館プログレッシブは、そのカテゴリーの中でも、文型を表示したり語法解説が詳しかったりして、学習者向けの要素が大きくて、それで人気があった。編集主幹の一人として、後に大修館書店から『ジーニアス英和辞典』を出す小西友七先生がいた。
その後、個人史的には英和辞典に再び本格的に触れるのは英語に関係する仕事に就いてからだが、その時は英和辞典としての最初の選択肢は『ジーニアス英和辞典』という時代になっていた。1990年代半ばのことだ。これは上級向けの学習辞典という位置づけであって、規模的には中辞典とそんなに変わらないのだが、より学習者向けに特化した内容になっている。そして、学校という安定した市場を手堅く押さえることで、売り上げの面では中辞典を凌駕し、そのうち市場から駆逐していった。

というわけで、前置きが長くなったが、もともと学習要素を色濃く持った中辞典として出発したプログレッシブ英和が、今回の改訂で「最強のビジネスツール」(帯の文句)と銘打って再出発したのだ。項目数は13万8千で、たしかにこれならビジネス用途にも十分そうだ。編集主幹は瀬戸賢一・投野由紀夫の両先生で、特に意味のまとまりを重視する瀬戸先生の主張が取り入れられて、自動詞と他動詞を分けないなど、いろいろ斬新な試みが取り入れられている。

ただ、ちょっと考え込んでしまうのも事実だ。そういった斬新な試みを学校市場向けに投入するのは大変な冒険であって、おそらくそれだけの営業体制を持っていない小学館としては、高校市場を直接攻めるような印象を与える「学習向け」的な姿勢は封印したのだろう。でも「意味の全体像をとらえる」なんてことは、一通りの英語学習を終えた一般社会人よりも、発展途上の学習者にとって大きな意味を持つのではないだろうか。

英和辞典の世界の現状は、一般社会人でも上級向け学習辞典を使わざるを得なくて(たとえば電子辞書でも入っている英和はほとんど『ジーニアス英和辞典』)、学習辞典に期待される範囲が大きくなりすぎていると感じられる。それは学習者にとってもあまり歓迎すべき事態ではないだろう。もともとの用途に対しては不要な項目で分厚くなり扱いづらくなった辞書を使って、学習効率は上がるのだろうか。そういう意味で、このプログレッシブ第5版が市場で受け入れられて中辞典というカテゴリーが復活し、上級向け学習辞典との棲み分けが進むとすれば喜ばしいことだ。しかし、そういう風に進むだろうかという懸念はあるし、そういった役割を負わせることは、この辞典の本来持っている特長にそれほど適合的ではないのではないかとも思う。

プログレッシブ英和中辞典〔第5版〕
瀬戸 賢一
4095102055

戦争の定義

某英和辞典の読者から、アヘン戦争の項(詳しく言うと opium の項の分離複合語 Opium War の記述)について、別の某英和辞典の記述と違うではないか、という叱責めいた指摘をいただくことがたまにある。僕の担当した辞書では、開戦した年が1840年となっているのに対して、ライバルの某辞書では1839年となっているのだ。
英和辞典というのは主に言葉としての英語のさまざまな現象を取り上げて解説したものだから、執筆者は主に英語の専門家であって、戦争とか事件とか歴史上の人物やその事績などは専門外ということになる。こうした事柄(百科的事項と呼んだりする)については、それぞれの分野の専門家に校閲を依頼するか、信頼の置ける参考文献を選んでそれに依拠するといった方法で対応している。いずれにしても編者以下の著者サイドよりも版元の編集部の責任が大きい領域と言えるだろう。「信頼の置ける参考文献」としては、学習辞典の場合は他教科の教科書や参考書のうちシェアの大きいものを用いたりする。
英国の辞書は伝統的に固有名詞を見出しから排除するという方法をとるところが多かった。その一方で形容詞はその辞書の守備範囲に入るので、頻度の高そうな(固有)名詞が立項されていない代わりに形容詞はある、といった一見不思議な現象も生じた。
それで、アヘン戦争だが、実際に戦端が開かれたのは1839年11月3日の川鼻の海戦だとされることが多いようだ。これを本格的な戦闘の開始と見れば1839年説をとるのが妥当だろう。一方で、英国政府が正式に清国への派兵を決定したのは1840年2月(陳舜臣『実録 アヘン戦争中公新書 p. 169)。シンガポールから艦隊が出発したのが1840年6月のこと。そうした手続き的な面に注目すれば、1840年が開戦の年ということになるだろう。ちなみにWikipedia(日本時間2012年2月29日午後10時の時点)では、日本語版が1840年としているのに対し、英語版では1839年説をとっている。どちらも複数の執筆者が存在しているので一貫した解釈にならないのが普通だろうが、英語版で1839年3月18日を開戦日としているのは根拠がよくわからなかった。
実録アヘン戦争 (中公文庫)
陳 舜臣
4122012074

大寒

1年に一度あるかないかぐらいの寒さだったらしい。東京の最低気温が5度未満。

最近のネット俗語

定点観測的に見ているわけではないけれど、最近気がついた面白い言い回しをメモしておく。

義実家

最初目にした時は「よしざね」という名字の家かと思った。自分なら「夫の実家」「義理の両親(宅)」と書くところだろうが、発言小町なんかで「義実家」という言い方をよく目にする。こういう造語というか新語を使いたくなるメンタリティを想像してみると、まず1語で言いたいというのが考えられる。助詞の「の」を使うのがかったるいのだろうか。あと、「家」という文字が入ることによって「場所」のニュアンスがより強く現れることを期待しているのかもしれない。

捗る

これについてはよくわからない。「進捗する」という意味ではなさそう。なんだか知らないけれどプラスの意味で使われているようだ。どういう由来なのだろうか。

そういえば昔「テンプレート」的な意味の「ガイドライン」というのが気になったことがあったが、いつのまにかあまり見かけなくなった。

問題な日本語〈その4〉
北原 保雄
446922216X