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50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

今日は何の日:7月19日

ビルマ建国の父」アウンサン暗殺

ビルマ(現ミャンマー)の英国からの独立を目指す闘争は第1次世界大戦後から盛んになり、太平洋戦争中の日本による軍政を経て1948年1月4日にビルマ連邦共和国として独立を達成します。完全な独立を目前に控えた1947年7月19日に、独立運動と抗日闘争を指揮してきたアウンサン Aung San (1915-47) はほかの閣僚らとともに暗殺されました。

アウンサンは学生運動の指導者として頭角を表し、次いで独立運動組織の「われらビルマ連盟」(別名タキン党)に参加します。日中戦争で援蒋ルートを分断するために独立運動を利用しようとした日本軍の協力を得てビルマ独立義勇軍を組織して戦い、英軍を駆逐するのに成功すると、1943年8月に名目上「独立」したビルマ国の国防相に就任します。しかし日本の軍政に対する疑念が強まり、1944年には共産主義者らも糾合して反ファシスト人民自由連盟(パサパラ)の前身を組織しました。1945年3月27日に日本軍に対して蜂起して連合軍に協力します。戦後は再び英領となりましたが、独立交渉をアトリー内閣に対して粘り強く行い、1947年1月に「アウンサン・アトリー協定」Aung San-Attlee Treaty を結んで1年以内の完全独立を約束させました。

暗殺事件は、アウンサンの政敵だったウー・ソオ U Saw の指示によるものだったとされ、ウー・ソオは後に死刑になりますが、実は他に黒幕がいたという説もあるようです。ちょっと幕末の日本を思い起こさせます。

なお、アウンサンの長女がノーベル平和賞受賞者で現在はミャンマーの国家顧問を務めるアウンサンスーチー Aung San Suu Kyi です。日本語では「スーチー女史」などと呼ばれることもありますが、ビルマ人は姓を持たず、アウンサンスーチーが一つの名前なので、分けるのは本当はおかしいのです。

今日は何の日:7月18日

S. I. Hayakawa の誕生日

後に言語学者・米国の連邦上院議員となるサミュエル・イチエ・ハヤカワ Samuel Ichiye Hayakawa は1906年7月18日カナダのヴァンクーヴァーで生まれました。学生運動が先鋭化した1960年代後半のサンフランシスコ州立大学で学長代理を務めていた際に、学生に対して厳しい姿勢をとり、保守派として全国的に注目を集めます。1976年の上院議員選挙に共和党から出馬し、当選して1期を務めました。言語学者としての専門分野は意味論でした。1992年2月27日に亡くなります(ロサンジェルス・タイムズの記事)。

かつては日本の大学入試やその対策のための読解問題集などで『思考と行動における言語』の抜粋など、この人の文章がよく取り上げられた時期がありました。今はどうなんでしょう。「読解偏重」の大学入試を批判している人にその是非を聞いてみたいものです。

今日は何の日:7月17日

ニカラグア革命

1937年以来ニカラグアはソモサ家の3代の大統領によって支配されてきました。アナスタシオ・ソモサ・ガルシアとその長男ルイス・ソモサ・デバイレ、次男アナスタシオ・ソモサ・デバイレと親米独裁政権が続き、反体制派の抵抗も続いていました。次男アナスタシオの任期中の1972年にマナグア地震が発生し、世界から送られた支援物資や義援金を政権が着服するなどの不祥事が出来し、国内外からの批判が大きくなると戒厳令によって抑圧するといった事態に至り、カーター政権下の米国も支援をストップしました。武装蜂起していたサンディニスタ民族解放戦線が1979年7月17日に首都マナグア周辺を掌握し(BBCの記事)、ソモサ大統領一家は米国に逃亡します。これでニカラグア革命はいったん成功しますが、内部分裂があったり米レーガン政権の資金援助を受けた右翼反革命勢力コントラとの衝突で、内戦が長く続くことになります。

今日は何の日:7月16日

ライ麦畑でつかまえて』刊行

1951年7月16日、米国の作家J・D・サリンジャー Jerome David Salinger (1919-2010) の小説『ライ麦畑でつかまえてThe Catcher in the Rye が刊行されました。名門高校を放校になったホールデン・コールフィールドが一人称で語る口語体の小説で、長く世界で読み継がれています。日本でも複数の訳が出版されており、『ライ麦畑でつかまえて』は1964年の野崎孝訳のものです。2003年には村上春樹訳で『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として出版されました。

ところでこの小説は、意外なところで7月8日に紹介した海野弘『陰謀の世界史』にも登場します。

陰謀マニアには『ライ麦畑でつかまえて』はおなじみである。ジョン・レノンを殺したチャップマンもこの本を持っていた。レーガンを撃ったジョン・ヒンクリーのアパートにもこの本があった。不気味な暗合である。この本の中に陰謀の秘密が書かれているのか? といったことを考えるようになると、いつか陰謀セオリーにとらえられているわけだ。 (同書p.18)

今日は何の日:7月15日

マイナウ宣言

1955年7月15日、南ドイツのボーデン湖にある「花の島」として知られるマイナウ島で開かれていたノーベル栄誉者会議で、ノーベル賞受賞者18人が核兵器使用の中止を訴える「マイナウ宣言」 Mainau Declaration を発表しました。ドイツの原子物理学者オットー・ハーンやマックス・ボルンが中心となって起草したものを回覧し、賛同した他のノーベル賞受賞者18人が署名してこの日の発表に至りました。この最初の提唱者18人には日本の湯川秀樹博士も含まれています。

今日は何の日:7月14日

ビリー・ザ・キッド死す

1881年7月14日、米国の西部開拓時代を代表するアウトローの1人、ビリー・ザ・キッド Billy the Kid ことウィリアム・H・ボニー William H. Bonney がニューメキシコ州(当時は準州)のフォート・サムナーで保安官のパット・ギャレット Pat Garrett に殺害されました。

ニューメキシコ準州リンカーン郡での有力者同士の抗争、リンカーン郡戦争に参加して生き延びた後、かつては仲間だったギャレット保安官に逮捕され投獄されましたが脱走、再び彼を追跡したギャレットに探し出されて射殺という経過をたどりました。ビリー・ザ・キッドは21人を殺して21歳で死んだ左利きの英雄として、映画、小説、ポピュラーソングなどで数多く取り上げられています。

歴史的に重要な事績を残した人というわけではないのに、フィクションなどで人気があり、しかも実像をちゃんと研究している人がいるというところは、日本人にとっての新撰組にも似た存在なのかもしれません。

サム・ペキンパー監督の『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯Pat Garrett and Billy the Kid (1973)は、その後のビリー像にも影響を与えた作品らしいですが私は未見です。ボブ・ディランクリス・クリストファーソンも出演。

近いところでは、エミリオ・エステベスが主演した『ヤングガンYoung Guns (1988) とその続編『ヤングガン2Young Guns II (1990) が記憶に新しいところ。

小説では、『イギリス人の患者』で知られる詩人/小説家マイケル・オンダーチェの初期の小説(というか、新聞記事やインタビューなどの体裁を取った散文と詩のコラージュのような作品)『ビリー・ザ・キッド全仕事』が白水uブックスから今年復刊されました。なんとたまたま昨日読み終わったところ。訳者の福間健二氏へのインタビューも必読です。

やっと読んだ!

今日は何の日:7月13日

ライヴエイド

1985年7月13日、飢餓に苦しむアフリカの人々を救うことを目的とした巨大チャリティーコンサート、ライヴエイドがロンドン郊外のウェンブリー・スタジアムフィラデルフィアJFKスタジアムで開催されました。

発端は、1984年にエチオピアの窮状をテレビで見たブームタウン・ラッツ The Boomtown Ratsボブ・ゲルドフ Bob Geldof が、チャリティーシングルを売って救済のための資金を集めようと思いついたことでした。この企画は、賛同するミュージシャンたちを集めてバンド・エイドというグループ名での「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」Do They Know It’s Christmas? として結実したのでした。予想外の売れ行きで、この動きはアメリカでも模倣され、USAフォー・アフリカによる「ウィ・アー・ザ・ワールドWe Are the World が発売されます。ゲルドフは慈善事業に目覚めたのか、さらに巨大なチャリティーコンサートを企画します。それがこのライヴエイドで、英米の2か所をメイン会場として、日本やオーストラリアも協賛会場としてコンサートが行われ、計84か国に衛星同時生中継が行われました。演奏時間は16時間にわたりました。

ウェンブリーには当時の英国皇太子夫妻も来賓として姿を見せました。そのほか、出演者はほぼ当時のトップスターたちですが、その顔ぶれを見ると「あの人は今」的な状況というか、最近はどこで何をしているんだろうと思ってしまう人たちもいます。スパンダー・バレエ Spandau Ballet とかポール・ヤング Paul Young とか……。アメリカの出演者ではビリー・オーシャン Billy Ocean とかリック・スプリングフィールド Rick Springfield とか。 物故者もかなりいます。ダイアナ妃、クイーン Queenフレディ・マーキュリー Freddie Mercury、ワム! Wham!ジョージ・マイケル George Michael、トニー・トンプソン Tony Thompson(シック Chic のドラマーですがこの時はパワー・ステーション The Power Station のメンバーとして出演。シックはベースのバーナード・エドワーズ Bernard Edwards も亡くなっています)、オーストラリア会場に出演したINXSのマイケル・ハッチェンス Michael Hutchence ……。

いろんな意味で1980年代の空気を代表するイベントだったと思います。 DVDも発売されているんですねえ。