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50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

思い出のクリスマスソング

12月になったので大手を振ってクリスマスソングを聴ける。よく言われるように、日本では商業的に感謝祭が定着していないのでハロウィンの後にすぐクリスマスの歌を流すところがあり、さすがに違和感を覚えていたのだった。

恋人がサンタクロース

松任谷由実のオリジナルもいいし、若かりし松田聖子のキラキラした歌声もいい。 子供がまだ小さいとき、「違うよそれは絵本だけのおーはなしー」のところでサンタさんの存在に疑問を持ってしまうことを恐れてこの歌を流すのを封印していたが、数年前に不用意に自分の過去のツイートを読んでいて「サンタさんとしておもちゃを買いに行く任務を」なんて書いてあったのをしっかり読まれてしまいバレてしまったので、もうそういう心配は不要になった。 大橋トリオがこの歌をカヴァーしているのを今年初めて知って、収録しているMAGICというアルバムを聴いているが、他の選曲もいいね。

雪のクリスマス

DREAMS COME TRUEの歌。 ドリカムは歌詞が気恥ずかしいのであまり聴くことはないけど、この歌とLOVE LOVE LOVEは人生の危機にあった時期に街でよくかかっていて印象深く、時々聴きたくなる。 英語ヴァージョンのWinter Songの方が気恥ずかしさを感じないはずだけど、なぜか聴きたくなるのは日本語版の方。 人生の危機にあった時期は1995年だったと思うけど、この曲のリリースは1990年のようだ。年をまたがってラジオでかかっていたのかな。

This Christmas

学生時代によく聴いたクリスマスアルバムはアレクサンダー・オニールのMy Gift to Youで、まだ手元に持っていて毎年聴いている。リリースは1988年だから、もう30年近くになるのか! その中に入っていたドニー・ハサウェイのThis Christmasは近年他の人たちによるカヴァーもよく耳にするようになったが、オリジナルの歌い回しにはやっぱりグッとくるものがある。

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I Saw Mommy Kissing Santa Claus

10年前ぐらいに買ったFree & Easyのクリスマスコンピレーションの冒頭に入っていたのがジャクソン5の「ママがサンタにキスをした」。近頃はマイケル10歳の歌声にわけもなく涙腺が緩んでしまうようになった。そういう年齢になったということだ。歌い出しの I の音程が揺れるところがまたいいんだよね。

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桐原書店のこと

一般的に、つまり教育あるいは出版業界で働いているわけではない人にとって、それほどニュースヴァリューのある話ではないかもしれないが、その筋の人には非常に大きな出来事が先週あったので記録しておく。

2017年10月30日、図書印刷株式会社(東証一部7913)が株式会社桐原書店の株式の51%を取得して子会社化することを発表した(IR資料PDF)。取得価額は12億円弱。会社四季報の2017年秋号で

【模索】編集・制作の印刷周辺や学校図書分野でM&A意向。

と書いてあったのは、こういう形でひとまず実現したわけだ。図書印刷学校図書株式会社をすでに傘下に収めており、上記のIR資料によると、新たにグループに加わる桐原書店との2社を統括する持株会社を100%子会社として設立する意向。桐原書店は参考書や教科書が主力、こちらは高等学校の英語と国語を手がけているのに対して、学校図書は小中学校向けの教科書が主力であり競合する部分は少なく、シナジー効果が見込めると判断したものだろう。

ここから先は確たる情報源を示すことができない情報も含まれるので、読む方は話半分で受け取っていただきたい。

桐原書店は2000年前後から経営危機に陥り、Wikipediaにも2001年に英ピアソンの傘下に入ったことが記されているが、実はその半年ほど前にZ会という教育産業の会社が出資したことがある。Z会の当時の社長は「いい会社が手に入った」と喜んだらしいが、すぐに外資にさらわれてしまったのである。検定教科書を発行することは、発行した経験のない会社にとってはそれなりのステータスに見えるのかもしれない。

ピアソンのもとでの出版活動を嫌う人たちは離脱して、いいずな書店を設立した。いいずな書店は桐原の主力商品とまともに競合する英語の参考書を出したりしたので、そのことも桐原の経営再建がうまく進まなかった一因になったかもしれない。2013年にピアソンは桐原の経営から手を引くことを決め、マネジメント・バイアウトによって独立させることにした。株式は新経営陣に格安で売り渡したとされていて、その金の動き(あるいは契約の中身)は不透明だが、今のところ部外者には確認のしようがない。

MBOによる独立後も桐原の経営陣は会社売却を模索していて、2015年には資格試験対策などを手がけるTAC(東証一部4319)への全事業譲渡を発表した。その際に従業員はいったん全員が解雇されて改めてTACの入社試験を受けることとされ、結果的に労働組合の幹部を全員落とすという露骨な採用差別も行われた。ピアソン傘下の時代から労使関係は良好ではなかったのだがまだ引きずっていたのだ。組合に同情的な著者らが新会社への出版権の移転を拒否したこともあり、結局この事業譲渡自体が中止された。

それから2年経ってこの発表。これまで桐原の上を通り過ぎてきた会社に比べると、はるかにマシな会社が登場したという印象である。従業員にとっても現経営陣にとっても望ましい結果ではないだろうか。労使関係が正常化して経営再建がうまくいけば、安定した永続的な関係になるだろう。そうなることを期待したい。

今日は何の日:7月25日

試験管ベビーの誕生

1978年7月25日、世界初の体外受精技術(in vitro fertility; 略して IVF)による出産が成功しました。生まれた子供の名前はルイーズ・ブラウン Louise Brown といい、イングランドマンチェスター郊外にあるオールダム地域総合病院で帝王切開による分娩でした。当時から倫理的に非難する声もありましたが、この成功によって不妊に悩む人々に希望が広がったことは間違いないでしょう。

当時の日本の報道では「試験管ベビー」という言い方がなされました。英語での a test tube baby という言い方を直訳したものでしょうが、時代を感じさせます。

また、こういう形での出産が行われたことを当事者の名前もそのまま発表するというのは、現在の人権感覚からは外れているようにも思えます。報道記事で扱われることでその生育費用をまかなうという契約があったようです(BBCの記事より)。

今日は何の日:7月24日

キッチン討論

冷戦下の1959年7月24日、モスクワで開かれていたアメリカ博覧会の会場内のキッチン展示場で、東西の両大国の指導者によるディベートが行われました(AFPの記事BBCの記事)。「キッチン討論」と呼ばれています。論争をたたかわせたのは、ソ連側はニキータ・フルシチョフ Nikita Khrushchev 共産党第1書記、米国側はリチャード・ニクソン Richard Nixon 副大統領でした。この時点で市民生活の豊かさという点では西側が大きくリードしていたことを見せつける展示になっていたという評価が上記のリンクからは読み取れますが、東側の体制が崩壊して冷戦構造が終焉するにはそれからまだ30年以上かかりました。

今日は何の日:7月23日

ヴィック・モローが事故死

1982年7月23日、オムニバス映画『トワイライトゾーン/超次元の体験』Twilight Zone: The Movie の撮影中に、ヘリコプターの事故によって主演のヴィック・モロー Vic Morrow (当時は「ビック・モロー」という表記が一般的)と子役2人が死亡するという事故が起きました。この短編を監督していたジョン・ランディス John Landis は刑事責任を負うことは免れましたが、大きな精神的打撃を受け、その後の映画製作にもこの事故が大きな陰を落としたと言われています。

今日は何の日:7月22日

エドワード・ホッパーの誕生日

米国の画家、エドワード・ホッパー Edward Hopper は1882年7月22日ニューヨーク州ナイアックで生まれました。ロバート・ヘンライ Robert Henri が教えていたニューヨーク美術学校 New York School of Art で学び、アメリカの普通の人々の生活を乾いた質感で描いた具象画で知られています。1967年5月15日に没しました。

個人的には、南佳孝の1982年作『セブンス・アベニュー・サウス』のジャケットに使われた Nighthawks が強く印象に残っています。ニューヨーク録音、デイヴィッド・サンボーンニック・デカロなどが参加の名盤。

今日は何の日:7月21日

アスワン・ハイダムが完成

ナイル川の巨大ダム、アスワン・ハイダムが完成したのは1970年7月21日のことでした(ナショナル・ジオグラフィックの記事)。 ナセル大統領時代のエジプトで最大の国家プロジェクトです。 1954年に建設が決定しましたが、エジプトのチェコスロヴァキアからの武器購入計画が明らかになると、対ソ接近を嫌って英米が資金を引き揚げ、ナセルは資金調達のために1956年スエズ運河の国有化を発表しました。これがイスラエルおよび英仏とエジプトとの第2次中東戦争スエズ戦争)を引き起こします。エジプトは軍事的には敗北しますが、国際世論を味方につけてスエズ運河の国有化を勝ち取り、イスラエルと英仏を撤退させることに成功しました。ダム計画はソ連の援助を受け、1970年に上記の通り完成しました。