他人の間違いには厳しく

別に「他人には厳しく、自分には甘く」が座右の銘というわけでもないのに、なぜか他人の誤りは目につきがちだ。
というわけで、この日記に関して誤りを発見したらご連絡ください。コメントでもトラックバッックでも何でもいいので。

ちょ

影武者徳川家康』ものすごくおもしろくて、この週末で一気に読み通してしまったが、一つ残念なことがあった。おそらく著者は関知してないであろう部分。

「緒戦」に「ちょせん」とルビがふってあったのだ。出てきたところすべてに。天下の新潮社ともあろうものが。文庫で21刷なのに。
「ちょせん」だってよ。具志堅用高じゃあるまいし。そのたびに腰砕けですよほんとに。

もちろん慣用的に「緒」を「ちょ」と読むことがあるのは知ってる。でも、独擅場を正しく手偏で書いて「どくせんじょう」とルビふってるのに、「ちょせん」はないだろ。もしかして担当者が池波正太郎の著作で独擅場は覚えたけど緒戦は覚えるチャンスがなかったとか?

影武者徳川家康〈上〉 (新潮文庫)

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モラール

あと、finalvent の日記 id:finalvent:20050903:1125743469 に出てくる「アモラール」って何だろう、と思った。フランス語 amoral をカタカナに写したもの?なぜわざわざフランス語?こういう場面では一般的なのか?
ちなみに英語 amoral は -o- に強勢があるので、通常の表記なら「アモラル」となる。これは言うまでもなく moral(道徳の)の対義語だが、morale(士気)というよく似た語と間違える人が多い。前者は「モラル」、後者は「モラール」と一般的には表記するのだが、身に付いてない語を使いがちな人に限ってよく混同して馬脚を現しちゃう。「やる気」とか「士気」とか、わかりやすい日本語があるんだから言い換える必然性まったくないのに。

日本語の非論理性

なんか書き出したら止まらなくなってきたので暴走してみる。id:ishmael:20050829:1125338012 みたいに「日本語は非論理的」だとか言い立てる文章って、だいたい思いつきか他人の受け売りなので読むに値しないことが多い。ishmael 氏の上掲の文章に示された特徴も、日本語そのものじゃなくて日本語を使ってる社会(の一部)について述べたものにすぎない。それに、どの言語社会にも似たような例は見つかるだろう。英語圏に「ぶぶ漬け」文化とか腹芸みたいなのがないと考える方が不思議。
すぐ「日本語には主語がない」とか「述語が後にくる」とか言う人いるけど、言語の構造がストレートに文化の特性に結びつくわけないじゃん。もちろん影響がないとは言わないけど。それぞれの言語なりの論理性をちゃんとわかった上で言ってるならいいけど、あんまりそういうのにお目にかかったことがない。