昭和と一口にいっても60年以上あったので、時代の空気感なんかはその時々で違うということはみんな理解しつつも、なんか便利だから近過去のことを昭和と呼んでいる、みたいなのがここ10数年の感じではなかったか。いや、近過去というと平成初期みたいなイメージかな。
というわけで最近読んだ「昭和」がタイトルと帯についた本を紹介したい。
『夢見る昭和語』
『夢見る昭和語』は三省堂から出た言葉の本で、辞書っぽく見えるタイトルだけど辞書ではない。「少女たちの思い出2000語」というサブタイトルが内容を的確に表していると思う。約2000の見出し語について割り振られた筆者がそれぞれの思い出をつづったものを五十音順に並べた本。1項目あたりの字数は平均すればおそらく200字もないくらいの分量で、いってみればショートショートエッセイ集だ。ところが、これが読み始めるとなかなか時間をとられる。それぞれの項目について自分の場合はどうだったけなあ、と追憶にふける時間が長いからだ。
執筆したのは女性建築技術者の会の人たちで、昭和15年生まれから一番若い人で昭和44年生まれ。僕から見れば父母より下、ちょっと年の離れた先輩くらいの年代の人が多いので、知らないことも出てくるし、話だけは小学校の先生から聞いたことがあるというような事柄もあった。第2次世界大戦による断絶は経験がないので実感としてわからないけれど、昭和50年ぐらい、つまり第1次石油ショックの前後ぐらいで生活体験の断絶はけっこうあるんだよね。だから10歳ぐらい上の人の体験は伝聞でしか知らないこともわりとあるのだ。
たとえば、「おまけ」の項目は「計りの目盛りを見ながらいつも「おまけ」をしていくれるおばさんがいました」となっているけど、我々の年代ではもう量り売りで物を買う場面は少なくなっていたのでこういうのは伝聞の領域。むしろ「おまけ」というとグリコとか仮面ライダースナックの印象の方が強い。
「脱脂粉乳」は2人が執筆していて、一人は苦手だったと書き、もう一人は自分だけ大好きで他の人の分までこっそり飲んであげて感謝されたと書いている。このあたりは脱脂粉乳が給食に出てきた最後の世代としてよくわかる。
はしがきに「この本は、持ち歩いたり、みんなで回覧したりしてください」とあって、まさにそういう感じで話の種にするのがいいのだろう。母に送ってみようかな。
獅子文六『コーヒーと恋愛』
獅子文六というと、NHK朝ドラの第1作の原作を書いた人で、僕ぐらいの年代にとっては物心ついた頃にはもうあまり読まれなくなっていた大衆小説作家というイメージ。全盛期は昭和30年代ぐらいか。
そういう人がどういう経緯で再浮上してきたのかは知らないが、2013年に出たちくま文庫版ではサニーデイ・サービスの曽我部恵一が解説を書いている。古書店で偶然に発見したこの本を買って大いに共感し、同じタイトルの曲も作ってアルバムに入れたとあるから、この人の力によるところも大きかったのだろう。
登場人物は、新劇出身でテレビの脇役として人気の中年女優モエ子、その若い恋人で舞台装置家の塔之本君、モエ子のコーヒー友達というあまり生活の悩みなどなさそうな人たちで、くっついたり離れたりのドタバタがコーヒーに関するうんちくもからめて軽妙なタッチで語られる。正直なところこれのどこが名作なの、と思ってしまったのは確かなんだけど、登場人物の誰からも悪意が感じられなくて、別れとか仕事の不調といった、重い(場合によっては悲しい)出来事があっても淡々としているところがいいんだろうなあ。
上で書いたような昭和史観からすると、昭和30年代なんてまだ先進国とはいえない段階だったはずだけど、こういう洒脱な小説も書かれていたわけだからそれなりの成熟も見せつつあったのだろう。それは大戦という断絶を乗り越えて受け継がれてきたものがやっと復活しつつあったということかもしれない。