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50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

ローラ・ニーロと田舎暮らし

前回、冬の初めに聴きたくなる音としてアズテック・カメラのことを書きました。冬に聴きたくなるアルバムはもう1枚あって、それがローラ・ニーロの Walk the Dog and Light the Light です。

ローラはニューヨーク出身のイタリア系シンガー・ソングライターですね。1997年に亡くなっていて、1993年に出たこのアルバムは生前に出た最後のオリジナルアルバムとなりました。「抱擁〜犬の散歩はお願いね、そして明かりはつけておいて」という邦題がついています。

これを買ったのはたぶんリリースされたその年で、渋谷のクワトロパルコにあったWAVEだったと思います。工場勤務でつらい時期だったなあ。

それ以来、集中的に聴き込むというわけではありませんが、折に触れて棚から取り出す愛聴盤になりました。

どこが冬っぽいかというと、温かいピアノの音、弦楽器を含むシンプルなアンサンブル、そしてモノクロのジャケットの印象ですね。そういえばローラ・ニーロのアルバムはモノクロが多いように思います。

孤独でつらかった時期によく聴いていたので、心象風景に重なる寂寥感がイメージとしてしみついたのかもしれません。

最近ちょっと話題になった「東京生まれ東京育ちの若者が田舎に転勤になって死ぬほど辛い話」https://anond.hatelabo.jp/20201201184650を読んで、その時期を含む若い頃のことを思い出しました。

新幹線の駅から数kmなんて田舎じゃないよ、という意見も見ましたが、僕は静岡県の三島に勤務していた頃、新幹線の止まる駅だからもっと栄えているのか思ったら駅前に何もなくて、とんでもない田舎に来てしまったなあと後悔したので、あの筆者の気持ちはよくわかります。田舎の尺度なんて人それぞれですし、東京都下に育った人なら、自分の住んでいるところは都心部と比べたら田舎だと思っていただろうから、それとの比較で田舎の判定基準が低くてもおかしくないでしょう。

たぶん交遊関係が極端に少なくなってしまって孤独感にさいなまれるというところが最大の問題点なんじゃないでしょうか。日常的に接するのが職場の人だけになってしまって、もとからの友達にはなかなか会えないし、新しい交遊関係はそう簡単に作れない。僕も工場勤務時代と三島時代初期はそんな感じでした。

昔の自分にアドバイスするとすれば、薄い地縁を作る努力をしたらいいよ、ということですね。

年齢を重ねるにつれて活動範囲や活発度は下がってくるので、それに見合った交友範囲を築くことが精神的な健康につながります。都会にいると関係のない人との接触機会も多くて、特につながりを作る努力をしなくてもただ生活しているだけで他人からの刺激を受けますから、それが精神の健康に結びつくことはあると思うのです。人数の絶対値が小さい田舎ではそれがない。そこで、人と接する機会をなるべく増やして、最初から深い関係を目指さなくてもいいので、薄いつながりを作るようにすれば、そこから発展していく関係ができる可能性もあるし、生活の基盤を築くことにもなります。また転勤になっても交流が続くような相手とも出会えるかもしれないし。

いつまでも学生時代のように、家族と友人とマスメディアの世界だけを相手にしていればよいというわけにはいかず、社会の中で頼り頼られる関係を作っていきながら自分の位置を確保していくというのが大人のあり方だと思います。四半世紀前の自分はそのことがよくわかっていなかった。

田舎でも、それまでの自分の趣味の延長で人と接する場を増やすことはある程度可能です。読書が趣味なら、書店だけじゃなくて図書館にも行ってイベントや学習会の機会を探すとか、映画が趣味なら(田舎暮らしは辛い!)、上映会の情報を探すとか。自転車を買ってサイクリングするとかでもよかったな。ジョギングとかね。

あとは、生活と密着したところで、食を調達する場面で顔見知りを作るとか。なるべく個人商店で買い物をするとか、外食なら気に入った店に高頻度で通ってみるとか。

身近なところから生活を充実させていくことで、開ける展望もあったんじゃないかな、と今にして思います。まあ、薄い地縁が皆無だったわけではないけれど、もっとできたよなあ、というところです。

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