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村上春樹についての雑感

今年のノーベル文学賞ザンジバル出身で英国在住のアブドゥルラザク・グルナ氏が受賞しました。日本人では村上春樹が候補だと言われ続けてもう16年ですか。スポーツ新聞は今でもそういう認識のようですが、だんだんメディアでも騒がれなくなってきた印象があります。本人も迷惑がってましたし。井上靖みたいに結局取れませんでした、ってなるんじゃないでしょうか。村上春樹に賞を与えたところで世界に何かインパクトがあるかというとそんなこともなさそうですし、セクハラ問題で失墜した賞の権威を再び向上させるのに貢献できる感じでもなさそうですし。

でも、早稲田大学で国際文学館(村上春樹ライブラリー)がこの10月に開館したり、途切れずに話題を提供していますね。

雑誌BRUTUSの最新号も村上春樹特集です。2号連続の特集で、次号に続きます。ノーベル賞を意識したのかと思いましたが、フィーチャーされているのは早稲田の国際文学館です。

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その特集の中で、翻訳家としての側面を取り上げた小野正嗣・辛島デイヴィッド両氏の対談を興味深く読みました。訳書は90冊を超えるそうです。めっちゃ勤勉ですね。僕もけっこう読んでいます。スコット・フィッツジェラルドレイモンド・カーヴァーを読んだのは彼が訳したからでした。この両者とグレイス・ペイリーは、村上春樹が訳したことによって日本で広く読まれるようになった作家じゃないでしょうか。フィッツジェラルドはもともと知られてはいましたが、80年代以前は翻訳が今ほど容易に入手できない作品も多かったのです。

村上春樹は日本国内への影響力がとにかく大きいんですよね。大学の文学部でも、研究の対象として80年代以前は英国の作家が主流だったのに、米国作家の人気が高まったのはまちがいなく彼の影響が大でしょう。日本人作家が外国語に訳されるにあたっての一種の物差しになっているという点も無視できません。

そういえば、上記の対談に参加した辛島デイヴィッド氏の『文芸ピープル』で村上春樹に関する逸話が紹介されています(p.155)。『走ることについて語るときに僕の語ること』が英訳されたのを、英国人作家ジェフ・ダイヤーがニューヨーク・タイムズに載せた書評で「『平凡』で『退屈』で『いい加減だ』と酷評した」けど、村上春樹がその後ダイヤーの『バット・ビューティフル』という作品を訳して、ダイヤーも少なくない日本の読者を獲得することになり、悪いことをしたと思ったという話。そりゃ気まずいよね。『走ることについて〜』は個人的な話ではあるので共感しない人もいるでしょうが、そんなにまで酷評されるほどかなあ。英国精神を発揮しちゃったんですかね。まあ、このタイトルもレイモンド・カーヴァーをもじったもので「いい加減」に見えてもしょうがない部分はあります。

『バット・ビューティフル』は出た直後に買って、ちょっと読んでは中断し、またちょっと読み進めては休み、というサイクルを繰り返しています。今一つ乗れなくてなかなか進みません。この機会に最後まで読もうと思います。

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呉越同舟(酷評された側とした側)