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50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

今日は何の日:7月8日

ロズウェル事件

1947年7月8日に米国ニューメキシコ州ロズウェル陸軍飛行場の報道官が、飛行場付近で何らかの飛行物体が墜落したと発表しました。しかし軍はその痕跡を消し、正式な報告は結局なされず、この事件そのものは忘れ去られました。なぜかその後30年も経ってこの出来事が注目を浴び、「戦後最大の隠蔽事件」と目されるようになったのです。

この事件についてはいくつかの説があります。

  • 謎の物体は米国政府の秘密兵器で、その実験が失敗したのを隠そうとしたものだ
  • エイリアンの円盤が墜落したのだ
  • ソ連のミサイルが墜落したものだ
  • 地球の中が空洞で、そこに住んでいる地下人が引き起こした事件だ

以上の記述は海野弘『陰謀の世界史』を参考にしました。他にも説はあるかもしれません。同書ではこの事件を扱った章で、冷戦とUFOの関連について、さらにはインターネットとの結びつきについて興味深い考察が披露されています。

今日は何の日:7月7日

ハワイ併合

1898年7月7日、アメリカ合衆国第25代大統領のウィリアム・マッキンリー William McKinley(共和党)がニューランズ決議と呼ばれるハワイ併合決議案に署名しました。これによって、ハワイ王国を滅亡させて発足したハワイ共和国の主権がアメリカ合衆国に委譲され、1875年頃から着々と準備を進めてきた併合が現実のものとなりました。この決議案の前にハワイ併合条約が議会に上程されていましたが、批准に必要な票数に達しない可能性がありました。そこで、上下両院でそれぞれ過半数の賛成を獲得すれば有効になり、かつ効力としては違いのない「決議案」という手段が取られたものです。ニューランズとは、この決議案を起草した民主党の下院議員フランシス・ニューランズ Francis G. Newlands の名前です。8月12日にはマッキンリー大統領がハワイを準州として米国領に編入することを宣言します。

マッキンリー大統領の対外政策は、ヨーロッパとアメリカの相互不干渉を基本とするモンロー主義を大きく転換するものでした。ハワイ併合に先立つ1898年2月15日に勃発したメイン号爆沈事件を口実として、スペインに対して戦争を起こし(米西戦争)、海外進出を本格化させます。この戦争で太平洋地域ではフィリピンが主戦場となりましたが、その戦いを有利に導くためにもハワイを編入することが必要であったわけです。

今日は何の日:7月6日

スコット・ラファロ逝去

ジャズ・ベーシストのスコット・ラファロ Scott LaFaro が1961年7月6日、ニューヨーク州のハイウェイでの交通事故で亡くなりました。25歳の若さでした。

ラファロはビル・エヴァンス Bill Evans のトリオ(もう1人のメンバーであるドラムスはポール・モチアン Paul Motian)での演奏で特に知られています。ピアノトリオにおいてリズム面と低音部で支えるというそれまでの標準的なベースの役割をはみ出して、自由に動き回ってピアノと絡み合うスタイルは、エヴァンスを大いに刺激したものと思われます。そればかりでなく、以降のモダンなピアノトリオの原型になったとも言えます。

このメンバーでの録音は、1959年12月28日録音の『ポートレート・イン・ジャズ』Portrait in Jazz に始まり、『ワルツ・フォー・デビィ』Waltz for Debby, 『サンデー・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガードSunday at the Village Vanguard, 『エクスプロレーションズ』Explorations まで期間にしてわずか1年半あまり、アルバム4枚だけですが、いずれも何十年経っても色あせず愛聴に値するものです。

このうち、『ワルツ・フォー・デビィ』と『サンデー・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』の2枚は、ニューヨークのジャズクラブであるヴィレッジ・ヴァンガードで1961年6月25日に行われた5セットのライヴ演奏から選んで編集したものです。ラファロが亡くなったのは、この素晴らしい演奏から10日後のことです。誰しも想像すらしていなかったことでしょう。エヴァンスは衝撃のあまりしばらく演奏活動をやめてしまいます。

上記の4枚の中でも最も有名であろう『ワルツ・フォー・デビィ』を私が初めて入手したのは、1990年代初め頃のCDで、オリジナル盤の順番ではなく別テイクを直後に続けるというスタイルの編集でした。つまり、Waltz for Debby のテイク2(オリジナル盤収録)の直後に同じ曲の(オリジナル盤には未収録の)テイク1が続いていたりしたわけです。テイクの違いを分析しながら聴くにはよかったのかもしれませんが、流れがぶった切られてつらいものがありました。その後、別テイクは別テイクでまとめて後ろに配置するスタイルのCDも出ました。それから、CD3枚組のコンプリート版すなわち6月25日の演奏すべてを収録した商品も出て買いましたが、「世界初登場」というふれこみの曲が、機材の不調で中断されたものだけだったりして、改めてオリジナル盤の演奏と編集の素晴らしさを感じたものです。

そして今回これを書くに当たって調べると、昨今のLP復活ブームに乗って、アナログ盤も発売されているではありませんか! やっぱこれだよねー。村上春樹もエッセイ集『ポートレイト・イン・ジャズ』の中で「片面三曲でひと区切りをつけて、針をあげて、物理的にほっとひとつ息をついて、それで本来の『ワルツ・フォー・デビー』という作品になるのだと僕は考えている」と書いています。しかし現在の我が家にはアナログ再生装置がないのです……。

今日は何の日:7月5日

ケネス・レイ死去

2006年7月5日、米国の大企業エンロンの実質的な創業者だったケネス・レイ Kenneth Lay が心臓発作のため死亡しました。64歳でした。

エンロンはもともとテキサス州の地場の天然ガスパイプライン企業が1985年に合併してできた会社でしたが、規制緩和の波に乗って合併や買収を繰り返して規模を拡大していきます。やがてエネルギー企業の枠を超えて私設市場をネット上に立ち上げ、電力やガス、原油などエネルギー商品の先物取引なども手がけ、90年代には目覚ましい成長率を誇っていました。この急成長をCEOとして主導したのがケネス・レイです。実際にはその陰で簿外への損失隠しや利益の水増し、循環取引インサイダー取引など数々の不正が行われていたのですが、明るみには出ませんでした。2001年10月にウォールストリート・ジャーナルが不正会計疑惑を報じたのをきっかけに株価が急落し、それがさらに損失を拡大させるという悪循環に陥り、連邦破産法第11章適用を申請して倒産します。

成長と不正が並行して進行している中の企業文化や、不正を監視する仕組みの機能不全、献金を通じた政治家の動かし方など、この事件が企業のあり方に対して投げかけた問題点や教訓は多岐にわたります。現在の日本でも他人事ではないと言っていいでしょう。

ケネス・レイは証券詐欺などの罪で刑事訴追され、2006年5月に陪審によって有罪が確定しました。量刑は未確定でしたが10年を超える服役を余儀なくされることは確実でした。しかし収監される前に死を迎えたのです。

今日は何の日:7月4日

「この世で最も幸せな男」

7月4日といえばアメリカ合衆国独立記念日です。1776年のこの日、北米の英国領13の植民地からなる大陸会議 the Continental Congress が独立宣言を採択したのを記念したものですね。ただし、今日は別の出来事を取り上げます。

1939年7月4日、ニューヨーク・ヤンキースの名選手だったルー・ゲーリッグ Lou Gehrig の引退セレモニーがヤンキースタジアムで行われました。ゲーリッグは1925年6月1日からこの年の4月30日まで、足かけ15年にわたって2130試合連続出場という大記録を打ち立て、その間に三冠王1回、首位打者1回、本塁打王3回、打点王5回を獲得するという活躍ぶりで文字通りチームの中心選手でした。1938年シーズンの半ばぐらいから成績が落ち始め、脳腫瘍などが疑われましたが、連続出場が途切れた後の6月に筋萎縮性側索硬化症 Amyotrophic lateral sclerosis〈略 ALS〉との診断が下り、6月21日に引退を発表します。

そして7月4日の試合後のセレモニーでゲーリッグは周囲のあらゆる人への感謝の念を述べた名スピーチを行いました。

Fans, for the past two weeks you have been reading about a bad break I got. Yet today I consider myself the luckiest man on the face of the earth. 皆さん、私に訪れた不運についてこの2週間で目にしたことでしょう。 しかし今日、私はこの世で最も幸せな男だと思っています。

このスピーチの全文はスポーツ・イラストレイテッドのサイトで読むことができます。動画もいくつかYouTubeに上がっていますが、完全な形のものは見当たりませんでした。スミソニアン・チャンネルのものを貼っておきます。

ALSはゲーリッグの闘病によって知られるようになりましたが、まだ研究の途上です。研究のための資金を集めることを目的としたアイスバケツ・チャレンジという運動がFacebookなどで流行したのも記憶に新しいところです。

今日は何の日:7月3日

特に何の区切りでもない日で唐突ですが、このブログで雑学を披露していきたいと思います。範囲は近現代の主に英語圏とします。雑談のネタに使っていただければ。

アイダホ州アメリカ合衆国に加入

さて、1890年7月3日にアメリカ合衆国に43番目の州としてアイダホ州が加盟しました。新しく州が合衆国に加入することに関しては、アメリカ合衆国憲法第4条第3節第1項に定めがあります。

New States may be admitted by the Congress into this Union; but no new State shall be formed or erected within the Jurisdiction of any other State; nor any State be formed by the Junction of two or more States, or Parts of States, without the Consent of the Legislatures of the States concerned as well as of the Congress.

新規加盟に関する憲法の定めはごく簡単で、この条文の最初のコンマの前まで、すなわち連邦議会がそれを承認する権限を持つということしか述べていないわけですが、実際には住民投票による意思確認から大統領の承認、州憲法の制定、連邦議会両院の過半数の賛成などの手続きが必要になるようです。

ところでアイダホといえば、日本人にとってはアイダホポテトの印象ばかりが強くて(って特定の世代だけ?)、地図でどこにあるか指してみよと言われて正確に特定できる人はほとんどいないと思うのですが、アメリカ人でもそういう人はけっこういるみたいですね。日本に来ることになって少し日本語を勉強したアメリカ人が、「朝の挨拶は……ええと……アイダホ!」と言ってしまう例は後を絶たないのだとか。あくまでもジョークですが、アメリカ人にとっても「なんか北のほうにある州の名前」という認識なのでしょうか。そういう州は他にいくつもあるし、地理的にはオハイオ州は中西部でわりと東に位置するのに対してアイダホ州は西部でロッキー山脈の中でかなり離れているのに、特にアイダホが選ばれやすい理由は謎ですが、母音 o で終わるという共通点があるからでしょうか。

David Bowie is

今年1月から開かれていた展覧会David Bowie is. 会期終了まで1週間という直前に滑り込むことができた。

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中学の時にロックの古典としてZiggy Stardustに触れ、高校ではLet’s Danceのスティーヴィー・レイ・ヴォーンのギターにしびれた自分は熱心なボウイのファンではなかったけれど、体育祭の仮装で「戦場のメリークリスマス」でボウイが演じたセリアズ少佐に扮したことのある身としては、やはりこの展覧会を見に行かないわけにはいかなかった。

いろんな資料でボウイの音楽人生をたどるようになっていて、音楽家の展覧会らしく音声ガイドが観覧者全員に入り口で貸与され、場所ごとに関連する音楽をはじめとする音声が流れるようになっている。しかるべき場所に立っても思うように音声が流れてこないこともあったりして、展覧会という形式で音楽を扱うことの難しさはあるよなあと思った瞬間はあったけれど、総じて期待に違わず楽しめるものだった。

興味深かった点が二つある。

まず、グラムロックというジャンルの水脈の広がりが思っていた以上に大きいのではないかという発見。これは、両性具有イメージに関連する展示のところで感じた。グラムというと時間的にも人脈的にも非常に限られた範囲の流行だったという印象があって、たとえばグラムの中心的存在の一つだったロキシー・ミュージックなんかも80年代の再結成後は典型的なグラムからは遠くに行ってしまったように思っていたが、ライヴアルバムThe High Roadのジャケットのヴィジュアルイメージなんかは、ボウイの女装した姿との親和性を強く感じるし、その精神性はそう簡単には失われていなかったのだろう。

それから、ベルリン時代の特に歌詞の作り方に関して、ブライアン・イーノらが開発したオブリーク・ストラテジーズが重要な位置を占めていたこと。このことはGIGAZINEの記事にも触れられているように、よく知られた話なのかもしれない。しかしブライオン・ガイシンのカットアップ(ボウイはこの技法も作詞に取り入れていた)とともに、現代人の精神世界に与えた影響は予想以上に大きいのではないかという気もしてくるのだった。