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50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

広末涼子も高知の女だったか

4月に朝ドラらんまんにかこつけて広末涼子愛を語って2か月。いやそんなに語ってないか。その記事をリンクした先のFacebookで友人たちとそういう話になりました。その頃には想像もしていなかった事態にびっくり。

ところで、メディアでは広末の名字を発音するとき、「ろ」が一番高くなる抑揚をつけるのが標準的ですが、地元高知では基本的に平板アクセントで発音されていると思います。「底冷え」とかと共通。

さて、今回のスキャンダルが明るみに出た際、「西原理恵子と同郷だし、あんなにかわいくなければ今頃は子供連れてパチンコ打ってる人生」というようなツイートを見かけました。

それは違う。たぶん。

実家は高知の城下で一番栄えている(あるいは栄えていたと過去形にすべきか)区域で商売をやっていて、庶民の中でも格上。漁師町育ちの西原とは環境が違う。お母さんは県外から連れてきた(おそらくは)美人だし。

だから自分たちの代表という感じではなくて、まあ何というか、王室のはねっかえりの姫が馬術でオリンピックに出場しているのを少し誇らしく思いつつ応援するみたいな感覚で、ちょっとイタい言動も含めて支持していました。少なくとも僕は。この感覚が高知でどれだけ共有されているのかわかりませんが。

その気持ちは今回のことがあっても別に変わりません。

しかし、離婚歴があって自分で稼いでいる女性で気の強さも持ち合わせている。これこそまさに高知の女性、はちきんのあり方そのものではないですか。客観的に見ると西原との違いがわからないのは当然。

ちなみに、高知出身ではない我が妻に言わせると、「高知の女性は全員はちきん。例外はない」とのことです。いや例外あるろうと思いますが妻は少なくとも会ったことがない。

そういえば広末がこれまでつきあったとされる男性の中で、つきあう前には知る人ぞ知る存在だったのが、一般の人にも注目される存在への上昇を果たした人はけっこう多いんじゃないでしょうか。一昔前ならあげまんと呼んだのだろうと思いますが、最近はその言葉をあまり聞かなくなったかな。そんなに品のいい言葉じゃないのでそれはよかったと思いますが、そういうところもちょっと誇らしい気持ちになる要因だったかも。

少し前に出版された広末の著書が、今や「不倫デスノート」なんて呼ばれているそうです。僕はいち早く買って手元に置いているのですが、読んでいて気恥ずかしく感じる部分もあり、なかなか読み進められないでいたらこんなことに。そしてもっと恥ずかしい直筆の手紙まで公開されて。それは読む気になれないどころではなく、頭に来て個人的に文春不買運動を展開中です。

カバーの箔押し、やや横長の判型など造本も凝っている

広末にとっては今までになかった逆風で、今後の展開は予断を許しませんが、上にも書いたとおり、広末を応援する気持ちはいささかも揺らぐことはありません。これからの彼女の人生に幸多かれと祈ります。我々はずっと味方です!