先日、米連邦準備理事会(FRB)元議長のアラン・グリーンスパン氏が死去しました。100歳。
今朝(6月24日)の朝日新聞天声人語には、この話題にからめスタン・ゲッツの名前が登場。「世界にボサノバを広めたサックス奏者」と紹介されていましたが、ボサノヴァを知る前のバリバリ吹きまくるゲッツも大好きな人間としては複雑な気分になります。ボサノヴァを広めるにあたって功績の大きかった人は他にいますし。ジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンは別としても、ゲッツにボサノヴァを紹介したギタリストのチャーリー・バードとか。
今朝の天声人語によれば、後にマエストロと呼ばれる中央銀行家は「かつて音楽学校で学んだ。学友にスタン・ゲッツがいた」とのこと。つまり、固有名詞と文脈を補うと、ジュリアード音楽院在籍時に学友のゲッツの演奏に圧倒されて音楽の道を諦めたそうで、この話はたしかにグリーンスパン自伝で読んだ気がします。
しかし、ゲッツの評伝を読み返すと、ジュリアードに在籍したなんて話は出てこないのです。
グリーンスパン自伝はいま手元にないのでWikipediaを参照すると、ジュリアードに在籍したのは1943年から44年。ゲッツはその時期、ジャック・ティーガーデンのバンドに在籍しており、44年には南カリフォルニアに移ってスタン・ケントンのバンドに参加しています。ティーガーデンのところにいた頃まだ16歳だったので、ニューヨークのモンロー高校に送り返されそうになったのを、書類を用意してなんとか免れたというエピソードは発見しました。この感じだとジュリアードに通学する時間は(費用も)なかったはず。グリーンスパンはもしかして話を盛っていたのかもしれないと思い、さらにウェブを検索しました。
同志社大学学術リポジトリで村井明彦「グリーンスパンのアイン・ランド・コネクション1──我あり,ゆえに我思う──」という論文を発見。グリーンスパン自伝『波乱の時代』の引用があり、それによると、ジュリアードに在籍していた頃に通っていた音楽教室の教師ビル・シャイナーにスタンリー・ゲッツという少年と共演しろと指示されたことが記されています。ゲッツがジュリアードでの学友だったとは書かれていません。つまり、アラン・グリーンスパンとスタン・ゲッツがジュリアード音楽院でともに学んだととれる部分は天声人語子の勇み足だったのでしょう。調査終わり。
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