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50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

SMAPとスピッツは似ているのに意外と混同されない

全然似てねーよ! という罵声が聞こえてきそうですが。

でも実はこの両者、けっこう共通点があるのですよ。オノ・ヨーコとマギーブイヨンよりは似ている。20年後、ヨイヨイになったときに混同しない自信が僕にはありません。

  • スで始まる
  • カタカナで4文字
  • 3音節目が促音(ッ)
  • パ行の音を含む
  • 国民的な人気がある

そんなこと言い出せばスパッツだって似てるだろ、と言われそうですが。合ってる。

相違点もけっこうありますね。

なんか大事なことを忘れていないか気になりますがこれくらいにして。

どちらも特にファンというわけではなかったのですが、1990年代半ばぐらいには街中やテレビ、ラジオでよく耳にしてなじみのある曲が多い。今ではCDを数枚持っていて、カラオケで歌ったりもするようになりました。スピッツは最近サブスクで聴けるようになったのでよくかけています。

歌詞に気をつけて聴いてみると、20代半ばを過ぎたくらいの若い男性の疲弊した日常を背景にした曲とかあって、もう共感しかない感じ。リアルタイムで聴いていた訳じゃなくて後追いで、あの頃はそうだったな、と思い返してそっと涙するわけです。SMAPの「しようよ」とか、スピッツの「魔法のコトバ」あたり。

youtu.beあの頃に人間社会のあれこれめんどくさいことをやり過ごす狡猾さがもっとあれば楽だったな……。あと、肉体的疲労を抜く方法。これは今でも(別の面で)切実ですが。

ところで今の20代男性とはあまり接点がないんですが、ハラスメントという概念も一般化して久しいし、働き方とか社会のあり方は20〜30年前よりはよくなっているでしょうか。経済成長はずっとしていないけれど、そういう面では進歩していると信じたい。

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片道10kmの自転車通勤で疲労困憊

 

バーチャルマラソンの中でも格別

市民参加のマラソン大会は来年前半までは続々と中止またはバーチャルでの開催に変更されているようです。今のところ、リアルで開催される見通しなのは僕が知っている限りでは湘南国際マラソンぐらい。

その湘南は、例年12月初めだった開催時期を2月に移したうえで、エイドなどを縮小し、各自がボトルを持参してそれに給水する方式に改める予定です。環境への負荷も小さくして新しい市民マラソンの形をつくるという意気込みを見せています。

参加者の立場からは、水や食べ物まで自分で運びながら走るというのはそれだけで負担がぐっと増えるので、正直なところありがたくはないですね。トレイルランニングの大会ではそれが一般的だと言われましても、覚悟が違う。ロードのマラソンは覚悟が軽いでしょう。

この感じだと、今までと同様に至れり尽くせりの大会が実施されるのは年単位で先のことになりそうです。いや、湘南方式が一般化してもう二度と行われないということも想定しておくべきかも。

その一方で、バーチャルの大会は定着していくのかもしれません。しかし、これも参加者の立場からはなんだか釈然としない感じです。

10月にバーチャル富士山マラソンに参加して2月にバーチャル勝田全国マラソンに参加するとしましょう。実際に走るのはどっちも同じ善福寺川神田川をぐるぐる回るコース、しかもハーフの距離を2回……となったら「富士山」とか「勝田」とか称する意味って全然ないですよね。参加賞ぐらいか。

バーチャルマラソンは基本的に、特定のアプリを参加者各自がダウンロードしてそこに記録することを前提に、ある期間内に指定の距離を走って主催者に申告するという形で開催されます。フルマラソンの距離を一度に走ってもいいし、分割してもいい、という方式の大会が多いようです。

そういうのなら別にいいか、と思って今のところ参加を検討したことはないのですが、ちょっと心が動いたのがありました。

それがニューヨークシティマラソン。2020年はリアルの大会は中止、バーチャルTCSニューヨークシティマラソンとして開催されます。リアルの大会は、僕の年代だとほぼサブ3のランナーじゃないと参加できないんですが、バーチャルの大会はそういう制限がないのです。開催日は、10月17日から11月1日の間に走ればいい、という幅を持たせているのは他の大会と同様ですが、分割は認められていないというのが大きな特徴です。42.195kmを一度に走り通さなければいけないわけです。これはなかなか厳しい。しかしそれでこそやりがいがあるというものです。

2021年の大会出場保証が得られる枠はもう埋まったみたいなので、これから申し込んでもデジタルバッジがもらえるくらいですが、市民マラソンの最高峰に参加したという勲章が得られるのは格別なものがありそうです。

ニューヨークに関係する曲のプレイリスト(5時間分)でも作って……とか考えてしまいました。Lee Wiley "Manhattan" とか、Billy Joel "New York State of Mind" それから Simon and Garfunkel "The Only Living Boy in New York" ……うーん、意外と盛り上がらない?!

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このごろ雲がかっこいい日が多い

 

定常状態を保つのも難しい

以前、グルーミングのことを話題にしたことがあります。1年半ぐらい前ですね。

zokkon.hatenablog.com

そのときは身だしなみを整えることについて今よりも興味があったのか、わりと熱心に書いていますね、我ながら。

今はあまりそういうことにエネルギーと時間をかけたくない気持ちが強くなっています。要するにめんどくさい。だから、いろいろ考えないですむように、道具や薬品(と呼ぶのが適当かどうか…)もなるべく定番的なものを選ぶようにしています。

ところが。メーカーが廃番にしたり、アップデートして中身を勝手に変えたりすることがあるんですよね。小売店が取り扱いをやめることもあるし。そうするとまた選び直し。

整髪料としてウォーターポマードというのをここ数年は愛用していて、アーバンリサーチで売ってるのがちょうどよくてずっと買ってたんですが、最近その商品の取り扱いをやめてしまい、ちょっと困っています(アーバンリサーチは表参道近くにあった理髪店併設のセレクトショップも閉店してしまい、その点も困っています)。

テイストが近そうなのを東急ハンズなんかで買うのですが、匂いについて外装からは不明なことが多くて、使ってみたら思いのほかきつくて閉口した、ということが続いています。

入手しやすさを重視してマツキヨでギャツビーの製品を買ってみたこともありますが、これも匂いがきつい。無香料でいいのに。

あと、中身には関係ないのですが、容器が変わってしまったものもあります。メンズビオレの泡の洗顔料。ずっと詰め替え用を使っていますが、衛生面からは一つの容器をそんなに長く使わないほうがいいと聞いてなるほどと思い、久しぶりにボトル入りの商品を買ってみました。そしたら今までと何か違う。

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メンズビオレの洗顔

並べると一目瞭然ですね。なんか追突されてむち打ちの治療用コルセットを着用しているような姿になっています(右が新型、左が旧型)。これまで容器の見た目を意識したことはなかったのですが、改変したら気に入らなくなってしまいました。前の方が色のバランスは絶対よかった。なぜ変える必要があったんでしょう。余計な仕事しなくていいのに。

今こそケルアックを読む

緊急事態宣言下の自粛期間には読書に精を出そうと思って買った本、積んだままのものがまだまだたくさんあります。その中の1冊だったジャック・ケルアックの『孤独な旅人』(河出文庫)を先日やっと読み終えました。

ケルアックはビート・ジェネレーションを代表する作家の一人です。ビートは主に1950年代のアメリカで若い詩人や作家が展開した文学運動ですが、一過性の流行で終わらず、その時々の若い人を中心に70年以上経った現代まで読み続けられているわけです。すごいことですね。

僕もご多分に漏れず20代の頃に読みました。まあ、それほど夢中になったというわけでもないのですが。工場勤めのとき、夜勤明けの電車に河出文庫の『路上』(福田実訳)を持って乗ったら、サラリーマン風のオヤジに「けっカッコつけやがって」みたいなことを吐き捨てられたことがありました。あれが会社を辞める伏線になっていたかなあ……なんてことはないか。

訳者の中上哲夫さんは解説でケルアックについて、旅が創作の源泉だったのだろうと喝破しています。旅、そして移動というのがケルアックの作品において魅力的に見えるのは間違いないところです。この当時はアメリカ大陸においても移動手段として鉄道やバスが現代よりも大きな役割を果たしていたというのも大きいでしょう。コロナ禍の現在ではよりいっそう輝いて映ります。

僕の印象では、ケルアックはシステムから距離を置いてどうやって生きていくかを模索した人で、その記録が散文作品だと位置づけることができます。体制に反抗するというより、利用する(もっとかっこよく言い換えれば、ハックする)という感じがかっこいいんですよね。国立公園の山火事監視員として孤絶された山頂で3カ月過ごせば、金も稼げるうえに使わずにすむし、その間に思索に耽ることもできる、とかね。その結果、大いなる自然に畏怖心を抱いたりする。

このエピソードは、8編からなる作品集である『孤独な旅人』の中の「山上の孤独」で描かれているものですが、長編作品の『荒涼天使たち』の冒頭部分にも出てきます。こういうネイチャーライティングの系譜に連なる作品も、今読んだらなかなかおもしろいんじゃないかなと思いました。

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先週末のかなとこ雲

危険な暑さ

あっという間に夏休みが終わりました。明日から週5で出勤です。

NHKのニュースでも「危険な暑さに十分注意してください」と繰り返し呼びかけるような暑さの中を出勤。それだけでもブルーです。自転車通勤を週2回ぐらいと考えていましたが、それもためらわれるレベル。

連日37度ですからね。PCR検査も受けさせてもらえそう。いや、37.5度超えが4日続かないといけないんでしたっけ。ちょっと足りないか。

しかし、この殺人的な暑さの盆休みの間、おそらく自分史上初めて、毎日ジョギングをしました。子供と一緒の時は3kmちょっと、自分一人の時は5kmぐらい。午前7時前でも30度を超えるくらいの気温でしたが、日陰を選べば意外と走れるものです。

問題は、それからの1日がほぼ疲労感に支配されてしまうこと。立ちくらみを起こしそうになった瞬間もあったし、ちょっとがんばりすぎたかな。

しかし夏の間に十分運動をしておけば冬を乗り切る体力がつくという信念に基づいて、やり遂げました。もっと若いときからそうしておけばね。

2年前の夏も殺人的な暑さでしたが、その当時と違って今年は電力供給の逼迫という話題を聞きません。感染症で経済活動が落ち込んでいるからだと思いますが、流行が終息したらどうなるのでしょうか。冷房を躊躇なく使える状況になるのかどうか、気になります。

またNHKニュースの話題ですが、先日は暑い夜によく眠るための方法として頭寒足熱を推奨していました。「ガッテン」ばりに。とにかく冷房をかけるわけですが、頭の周辺の空気を冷やして脳の温度を下げるとよく眠れるのだそうです。足が冷えるのはよくないので、毛布なども使うべきなのだとか。

それをそのまま実行しているわけではないのですが、それを聞いて夜中も積極的に冷房を使うことにしました。以前は冷房は体に悪いと信じ込んでいて、眠る間ずっとつけっぱなしなんてもってのほかだと思っていたのですが。タイマーで夜中に切れるようにしたりして。それは閉め切った部屋でずっと冷房をつけていると気温が下がりすぎるという面もありました。そうすると、タイマーが切れた後に温度が上がりすぎて、死の恐怖にも通じる息苦しさを感じて起きてしまうこともありました。今ではドアも開けるようにしたので、そういうこともなく、けっこう快適に寝ているように思います。

老人介護施設などで、年寄りが冷房を使いたがらなくて困るという話を聞きます。冷房を使う生活様式に若い頃からなじんでいなかったからでしょうが、我々の世代が老人になれば、そういう人は少数派になるだろうと思います。そのころにも冷房のためのエネルギー供給は潤沢であってほしいものです。

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7時だと水辺でも全然涼しくない

アシンメトリーな男

竹内久美子という著述家がいまして、Wikipediaでは「動物行動学研究家」という肩書が与えられています。1990年代の前半あたりにはベストセラーをたくさん出していて僕も読んだことがありますが、今ではTwitterネトウヨっぽいトンデモ言説を連発する存在になり果てているようです。

まあ、ベストセラーになった著作も、と学会からトンデモ認定を受けるような代物だったので、本質が変わったわけではないのでしょう。

しかし、学者っぽい経歴の著者が、人間社会の様々な現象を遺伝子に原因があると鮮やかに一刀両断してみせるといった感じの読んでおもしろい文章をいろんな場所で発表していれば、それを娯楽として消費する人ばかりではなく、中には真に受けてしまう人も出てくるでしょう。そういう言説に社会での居場所を与えてしまった出版社の罪は大きい。

何が言いたいかというと、僕自身も竹内氏の主張した「シンメトリーな男はモテる」という説に未だにとらわれていることに気づいたのです。

いや、もうモテとかはどうでもいいんですけどね。

眉毛の高さが左右で違っていると、内臓のどこかがおかしいんじゃないかと疑ったり。

クロールの息継ぎも左右両方でできたほうがいいだろうと思って練習してみたり。

右手に何か故障があったときに備えて左手も使えるように箸やペンを練習してみたり。

……こうして考えてみるとシンメトリーを目指すのは身体にいい影響を与えるんじゃないかという気もしてきます。

最近気づいたのは、時計をつけている左手首のところだけが日焼けしてなくて白いことです。機能的には別段問題ないけど、時計を外したらちょっとかっこ悪いかな。

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こうして見るとそれほど白くもない?

そこで、時々は時計を右手にはめてみることにしました。そういえば学生時代に布施くんがそういうことをしていたなと不意に思い出しました。

ジョギングの時のGPSウォッチも、今日初めて右手にはめてみましたが、これまでにない違和感を覚えました。時計の操作自体もなんとなくやりにくいのですが、走っている間の平衡感覚がこれまでと違うように感じました。意外に大きな影響を受けていたようです。つまり、ある程度の重量を持つ物体を左手首につけることを前提としたフォームが、知らず知らずのうちに固まっていたのかもしれません。時計を右手にはめる機会をもう少し増やすべきかも。

自転車レーンのある狭い道

今日は週2回の自転車通勤日(自分で勝手に決めた)。

帰りに千代田区千代田図書館に寄り、新しいルートを開拓しようと思って代官町通りを通ってみました。皇居ランの時に走って通る道ではあるのですが。

千鳥ヶ淵を過ぎて内堀通りを渡ると、わりと勾配の急な下り坂になり、そこを抜けて新宿通りに出ようとしました。自転車レーンが描いてありますが、幅員は狭く、後ろから自動車に抜かれるときはちょっと恐怖を感じます。少し歩道側に寄ろうとしたら、側溝のコンクリートの蓋が割れたような箇所があり、あっと思ったときにはそこに減速せずに突っ込んでしまいました。いやな衝撃がハンドルから伝わってきて、しばらくすると空気が抜けているのがわかりました。パンクです。

家から10kmぐらい離れた場所なので、修理してくれる店を見つける必要があります。スマホの地図で自転車店を検索すると、なんとすぐ近くにありました!

自転車を押して前まで行きましたが、午後6時を過ぎており、もう閉店している様子。頼み込もうかと一瞬思いましたが、もう一度検索して1kmぐらい離れた市ヶ谷の店に行くことにしました。

いやー、便利になったものです。実は学生時代にこの近くでバイトしたことがあるのですが、当時見通しの悪い半蔵門近くの坂道で自転車がパンクしたらどうしたかなあ。交番が見当たらなければ、通行人か付近の商店で働く人に聞くしかないですよね。それもどれだけ当てになるかわからないし、帰りが遅くなることを家に知らせるために公衆電話も探さなきゃいけないし、めんどくささで絶望的な気分になったことでしょう。それほどでもないか。

市ヶ谷の店は幸い先客もなく、すぐ修理してくれました。購入した店の系列だったので、買ってまだ日が浅いこともあり、修理賃も免除してくれました。「段差には気をつけてくださいね」という言葉もいただきました。

悪いことがあればいいこともある。

それにしても、今日パンクしてしまった道のように、自転車レーンが描いてあっても車道の幅自体が狭く脇の歩道も狭い道というのはどうやって通るのが妥当なんでしょう。自転車では二度と通らないことにしますが……。こうして通る道がますます限られてくるわけです。

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淀橋付近の夕空(写真は本文と関係ありません)