確定申告

これを書いているのは3月13日、確定申告締め切りの2日前の夜だが、実は昨日の段階ですでに申告書を投函していて、税務署からの確認の電話が来ないかドキドキしながら待っている状況なのだ(待ってません)。

亡父の相続があった年は税理士に依頼したが、その年を除いて平成22年(2010年)から自分で確定申告書を作成している。いや、それより前にも転職した年にはしているはずだな……そのときの申告書はもう手元にないが。

国税庁のホームページで作成できるようになってずいぶん楽になった。
年々楽になっているように思う。
去年は自宅で使っているMacの環境が使用要件に合わなかったのにそのまま作成を進めていったら最後にプリントアウトができなくて、結局息子用に買った(結果的には自分用になった)Windowsマシンを使って最初からやり直すというアクシデントがあった。バカだったな……。今年も環境を整えるのに時間がかかることを覚悟していた。ところが、MacのOSをアップデートしておいたらあっさり使用できることがわかって拍子抜け。

コンピューター環境もさることながら、医療費も健康保険組合から1年分の明細が送られてくるようになったので1件ずつちまちま入力する必要もなかった。NISAという非課税の制度を使っているので配当目的で保有している株式の配当金額の入力件数も減った。
とはいえ、それなりの数になるのでExcelの入力フォームを使うことになる。去年はこのためにMicrosoftのOffice 365を1か月だけ使ったりしたのだけれど、今はExcelもDropboxで使うことができるようになっている。新たにインストールする必要もない。なんてすばらしいことだ。おかげで予想以上に早く、一晩で申告書の作成が完了した。IT革命バンザイだな。

昭和って

昭和と一口にいっても60年以上あったので、時代の空気感なんかはその時々で違うということはみんな理解しつつも、なんか便利だから近過去のことを昭和と呼んでいる、みたいなのがここ10数年の感じではなかったか。いや、近過去というと平成初期みたいなイメージかな。

というわけで最近読んだ「昭和」がタイトルと帯についた本を紹介したい。

https://www.instagram.com/p/BfSxa79Hue00nLHkUbQFa8qE7oHSs93i5alGJM0/

「昭和」関係で最近読んだ2冊

『夢見る昭和語』

『夢見る昭和語』は三省堂から出た言葉の本で、辞書っぽく見えるタイトルだけど辞書ではない。「少女たちの思い出2000語」というサブタイトルが内容を的確に表していると思う。約2000の見出し語について割り振られた筆者がそれぞれの思い出をつづったものを五十音順に並べた本。1項目あたりの字数は平均すればおそらく200字もないくらいの分量で、いってみればショートショートエッセイ集だ。ところが、これが読み始めるとなかなか時間をとられる。それぞれの項目について自分の場合はどうだったけなあ、と追憶にふける時間が長いからだ。

執筆したのは女性建築技術者の会の人たちで、昭和15年生まれから一番若い人で昭和44年生まれ。僕から見れば父母より下、ちょっと年の離れた先輩くらいの年代の人が多いので、知らないことも出てくるし、話だけは小学校の先生から聞いたことがあるというような事柄もあった。第2次世界大戦による断絶は経験がないので実感としてわからないけれど、昭和50年ぐらい、つまり第1次石油ショックの前後ぐらいで生活体験の断絶はけっこうあるんだよね。だから10歳ぐらい上の人の体験は伝聞でしか知らないこともわりとあるのだ。

たとえば、「おまけ」の項目は「計りの目盛りを見ながらいつも「おまけ」をしていくれるおばさんがいました」となっているけど、我々の年代ではもう量り売りで物を買う場面は少なくなっていたのでこういうのは伝聞の領域。むしろ「おまけ」というとグリコとか仮面ライダースナックの印象の方が強い。

脱脂粉乳」は2人が執筆していて、一人は苦手だったと書き、もう一人は自分だけ大好きで他の人の分までこっそり飲んであげて感謝されたと書いている。このあたりは脱脂粉乳が給食に出てきた最後の世代としてよくわかる。

はしがきに「この本は、持ち歩いたり、みんなで回覧したりしてください」とあって、まさにそういう感じで話の種にするのがいいのだろう。母に送ってみようかな。

獅子文六『コーヒーと恋愛』

獅子文六というと、NHK朝ドラの第1作の原作を書いた人で、僕ぐらいの年代にとっては物心ついた頃にはもうあまり読まれなくなっていた大衆小説作家というイメージ。全盛期は昭和30年代ぐらいか。

そういう人がどういう経緯で再浮上してきたのかは知らないが、2013年に出たちくま文庫版ではサニーデイ・サービス曽我部恵一が解説を書いている。古書店で偶然に発見したこの本を買って大いに共感し、同じタイトルの曲も作ってアルバムに入れたとあるから、この人の力によるところも大きかったのだろう。

登場人物は、新劇出身でテレビの脇役として人気の中年女優モエ子、その若い恋人で舞台装置家の塔之本君、モエ子のコーヒー友達というあまり生活の悩みなどなさそうな人たちで、くっついたり離れたりのドタバタがコーヒーに関するうんちくもからめて軽妙なタッチで語られる。正直なところこれのどこが名作なの、と思ってしまったのは確かなんだけど、登場人物の誰からも悪意が感じられなくて、別れとか仕事の不調といった、重い(場合によっては悲しい)出来事があっても淡々としているところがいいんだろうなあ。

上で書いたような昭和史観からすると、昭和30年代なんてまだ先進国とはいえない段階だったはずだけど、こういう洒脱な小説も書かれていたわけだからそれなりの成熟も見せつつあったのだろう。それは大戦という断絶を乗り越えて受け継がれてきたものがやっと復活しつつあったということかもしれない。

北区赤羽マラソン挑戦の記(ハーフの部)

2018年1月7日、初めてハーフマラソンの大会に挑戦した。その記録。長い上に写真もなくて読む方には申し訳ない。

2013年ぐらいにふと思い立ってジョギングを始めた。始めるに当たっては銀座のアシックスストアに出向いて足のサイズを計測してもらい、意外に大きなジョギングシューズとソックス、ウェアを買って形から入ったのだった。

Facebookで動向を知るようになった中学・高校の同級生たちにはフルマラソンを(僕から見れば)ものすごいタイムで走る連中がすごく多くて、それに触発されたという面もあったのかもしれない。最初はふつうの腕時計をはめて時間を計り、距離は行政が整備した川べりのジョギングコースの距離表示板を頼りにしていたので不正確だったと思う。スマホアプリのRunkeeperを入れて比較的詳細な活動記録がとれるようになり、それをFacebookに流すようにしてから上記の同級生たちからアドバイスをもらうことが増え、距離も時間も伸びてきた。ここらへんで何か大会にでも出てみるかと思って、地理的にそんなに遠くなく、スタート時刻が遅めで、制限時間もハーフが3時間と長めの北区赤羽マラソンを選んだ。

かれこれ5年ぐらい走っているとはいっても、最初は大会に出ることなどまったく視野に入っていなかったので初心者である。大会に出ること自体も初めてだし、20kmを超える距離を一度に走るのも初めて。まずはどんな装備が必要なのか調べることから。でもそれをやったのが年明けだったという泥縄ぶりは反省すべきところだ。

タイツと長袖シャツ

当初、春ぐらいに走るときに着ている半袖ランニングシャツと、長袖で薄手のプルオーバー型シャツ(何と呼ぶのかわからない)に下半身はジャージの下でいいかなと思い一度近所を走ってみた。しかしこれでは上半身が意外に寒く下半身は温度的には問題ないけどかっこ悪い。というわけで家人の助言もあり、アイテム名はこれもよくわからないが体にぴったりしたタイツと長袖シャツを買うことにした。ヴィクトリアに行ったらアンダーアーマー製品20%引きのセールをやっていたので、1組だけ残っていたグレーのMサイズ上下を買った。走るときには上下とも1枚ずつ重ね着をした(七分丈のパンツと半袖の速乾シャツ)。温度的にはぴったりだった。

擦れ予防

足の裏の皮がむけることがあるのでワセリンを塗っておくといいという話を聞いたので、足の裏に塗り、ジョギングで比較的長距離を走るときに玉袋が擦れて痛くなった経験があったので玉袋にも塗っておいた。乳首も擦れて痛いといやなので絆創膏を貼った。ちょっと小さすぎたがいずれも問題なかった。

エストポーチ

エネルギー源の補給と貴重品を入れるために必要なのでヴィクトリアで買ったが、もしかしたらレディースだった? 腹回りに対してぴったりすぎた(つまりストラップが短かった)。その割に、走り出したら上下の揺れが大きくて邪魔になった。これは失敗だった。

帽子、サングラス、手袋など

ランニング用のキャップがあれば防寒用にいいかなと思って物色したけど気に入ったデザインのがなかったので、時々かぶる雪柄のニット帽を持っていった。最初かぶって途中から脱げばいいというつもりだったが、寒い場所もあったので結果的には脱いだりかぶったりになった。 サングラスはふだん使わないので今回も用意しなかった。しかし陽光は意外と目を痛めるという話も聞くので本当は着けて走るべきなのかもしれない。 手袋はふだん使っているナイロンのもの。

コース

新荒川大橋から少し上流にある京浜東北線の陸橋がスタート地点。そこから2kmぐらい上流で折り返し、5km下ってまた折り返すという約10kmのコースを、ハーフの部では2周する(ほかにクオーターの部やリレーなどがある)。この大会は毎月行われているらしく、運営やボランティアの皆さんも手慣れた感じで安心感があった。どうせ大会に出るなら周回コースではないほうが望ましかったが、2周なら御の字である。

スタートまで

レース開始が11時、その10分前にスタート地点に集合というスケジュールだったが、初めての土地なのに最寄りの赤羽岩淵駅に着いたのが10時30分ぐらい。そこから10分ほど歩いて受付到着、荷物置き場にスポーツバッグを置いて上着を脱いでゼッケンをつけて必要なものをウエストポーチに入れ直し……とやっていると時間がギリギリになってあわてた。安全ピンでゼッケンを留めるのにもたつき、左右アンバランスな位置に留めてしまったが、直す時間がなかった(実は落ち着いてやれば直せたと後になって気づいた)。 スタートの合図があってすぐに手元のランニングウォッチも計測を始めたが、考えてみればこれもミスで、後ろからダラダラ走っていく我々はスタート板を通過した時点でボタンを押せばよかったのだった。よくグロスとネットという言葉を聞いていたが、結果的にグロスとネットの記録がほぼ同じになってしまった。

レース中

1kmあたり6分を少し上回るぐらいのペースで進むと、最初の折り返し地点を過ぎたぐらいでもう周囲のランナーはまばらになってくる。あまり周りに気を使わなくてすんだのはよかった。一人すごく煙草臭い男性がいて、これで走るのかと驚いた。なるべく距離を置くようにしながら追い抜いたのでちょっとオーバーペースになったかもしれない。その辺りで前を走っていたポニーテールの若い(かどうかはわからないが)女性を目標にしばらく走ったけど振り切られた。

川沿いのコースなので風が強く冷たい地帯も多く、数は少ないが坂もある。一度ペースを落としたらなかなか後で挽回するのは難しいと思った。実際、ラップを確認したら8km過ぎからペースが落ち、1kmあたり6分30秒以上かかるようになって結局そこから回復していない。ちょうど一番長い上り坂のところからだ。

といってもそれほど苦しさは感じなかった。荒川の川べりを走るコースは開放感があり、晴天に恵まれたこともあって気持ちよく走れた。川風は冷たかったけど。14,15km辺りでは「意外と走れるもんだな」と思った。しかし18kmのところで上述の一番長い上り坂の2回目があり、覚悟はしていたもののそこから最後までがきつかった。がんばって脚を運ぼうとしてもなかなか前に進まない感じだった。

給水所は4回利用した。水とスポーツドリンクが用意されていて、ずっと水を取ったが最後の給水所では間違えてスポーツドリンクを取ってしまった。ウエストポーチに入れていたウィダーinゼリーは結局口にしなかった。

公式記録は2時間15分37秒。ふだんのジョギングのペースから、2時間30分は切れると思っていて、2時間20分ぐらいかと思っていたのでほぼ目標通りということになる。

レース後

ゴールインしたら係の人に計測チップを渡すことになっている。自分ではうまく外せなくて係の人にちぎってもらった。ゼッケン自体を外そうとして寒さのせいか指が動かず、安全ピンが外せなかったからなのだが、くっつけてあるチップをちぎって渡せばいいのだった。

そして荷物置き場に行って上着を取り出して羽織り、よろよろと歩いて近くの銭湯に向かおうとしていたら若い男女の集団に呼び止められてスマホでの写真撮影を頼まれた。震える手でシャッターを押したがあれはうまく撮れていたのだろうか。そのときに彼らがみんな記録証を手にしているのに気づき、スタッフに記録証の発行の仕方を教えてもらって(機械があるテントに行ってゼッケン番号を告げるだけでよい)なんとか入手した。あやうくもらい損ねるところだった。へろへろのおじさんに声をかけて写真撮影を頼んでくれた彼らに感謝しなければならない。

とぼとぼ歩いてお玉湯という銭湯に向かい、入浴料460円とタオル・シャンプー・ボディソープのセット代100円を払って入浴。この大会がある日はいつもより早くから営業してくれるのだ。混んでいて少し待った。この時に初めてウィダーinゼリーを流し込んだ。 入浴後はせんべろの街として知られる赤羽で豪遊するつもりだったが、JR赤羽駅まで歩く気力が残っておらず、赤羽岩淵駅に戻った(これならもう1軒の銭湯、岩の湯のほうが近かったことは後にわかる)。そして昼食がとれそうな店が見当たらず、南北線に30分ぐらい乗って四谷まで戻り、vivo daily stand というワインバーでビールにキッシュなどをつまんで一人で祝杯をあげた。

いかにして飽きを克服するか

少し前のことになるが、昨年に引き続き今年も母校の修学旅行のプログラムの一つ、会社見学に勤め先が光栄にも選ばれ、高校生たちを相手に少し話をする機会に恵まれた。

今年はコーパスの話なんかをして、学習法に触れる時間はあまり取れなかったのだが、事前に生徒の皆さんから頂いた質問を見ると、「仕事でつらいことは何ですか」というのが複数あって、現代っ子気質が現れているように思った。

自分の今の仕事に限らず、つらいことというと“飽き”だろう。「あーこれはもうやった。この仕事で期待されているクオリティはこの程度だからこんなものでいいだろう」と思ったらもう質の高い仕事は無理だし、それに費やす時間も無駄でしかない。そうなるのは人間としてつらいことだと思う。僕の場合はそのフェーズに入ってからずいぶん経つ。それを克服するには仕事を変えるのが一番簡単だと思うが、そうそう簡単にはいかない事情もある。

辞書の場合、一般的な単行本とは違って校正も四校、五校とか取るのはそんなに珍しいことではない。そうすると同じものを何度も何度も見ることになるわけだ。もちろん、校正のそれぞれの段階で見るポイントあるいはテーマが違っていて、同じ視点で見ているわけではないので、厳密に同じものとは言えないが、それでもまあ大筋は同じなのでどうしても慣れとか飽きとかいったものが忍び寄ってくる。それに英和のSとか和英の「し」なんかは、なかなか終わりまで行き着かないつらさもある。最後のZが非常に重たい中日辞典と比べるとまだ楽だが。

今のところ解決策としては、作業をなるべく細分化して小刻みに休憩を取ったり、違う作業を交互に入れたりして気分転換を図るぐらいしかやってないのだが、追い込みの時期になるとそうも言ってはいられないし、どうしたもんかな。あとは体力をつけるためにジョギングと水泳には励んでいる。

というわけで、カズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞したのをきっかけに、未読だった『日の名残り』を読んでみることにした。執事という仕事なんて毎日同じことの繰り返しだから、その克服の仕方も書かれているに違いないと思ったのだ。

……ところが、読んでみるとハイレベルな執事の仕事は全然そんなものではないのだった。国際政治の裏の舞台に立ち会うのだから毎日同じことの繰り返しでは全然ない。お見それしました。というわけなのだが、事前の予想は別にしてぐいぐい読める本だった。

今回はhontoでEPUB版を買ってiPhoneで読んだんだけど、やけに字が大きくて面食らった。

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電子書籍が出るようになってまだそんなに時間が経っていない頃の作品なので、フォーマットもこなれていなかったのかもしれない。その後に出た『忘れられた巨人』などはそんなに読みづらくない。いろいろ課題はあると思うが、新しい本を買っても荷物が増えないことはいいことだ。

思い出のクリスマスソング

12月になったので大手を振ってクリスマスソングを聴ける。よく言われるように、日本では商業的に感謝祭が定着していないのでハロウィンの後にすぐクリスマスの歌を流すところがあり、さすがに違和感を覚えていたのだった。

恋人がサンタクロース

松任谷由実のオリジナルもいいし、若かりし松田聖子のキラキラした歌声もいい。 子供がまだ小さいとき、「違うよそれは絵本だけのおーはなしー」のところでサンタさんの存在に疑問を持ってしまうことを恐れてこの歌を流すのを封印していたが、数年前に不用意に自分の過去のツイートを読んでいて「サンタさんとしておもちゃを買いに行く任務を」なんて書いてあったのをしっかり読まれてしまいバレてしまったので、もうそういう心配は不要になった。 大橋トリオがこの歌をカヴァーしているのを今年初めて知って、収録しているMAGICというアルバムを聴いているが、他の選曲もいいね。

雪のクリスマス

DREAMS COME TRUEの歌。 ドリカムは歌詞が気恥ずかしいのであまり聴くことはないけど、この歌とLOVE LOVE LOVEは人生の危機にあった時期に街でよくかかっていて印象深く、時々聴きたくなる。 英語ヴァージョンのWinter Songの方が気恥ずかしさを感じないはずだけど、なぜか聴きたくなるのは日本語版の方。 人生の危機にあった時期は1995年だったと思うけど、この曲のリリースは1990年のようだ。年をまたがってラジオでかかっていたのかな。

This Christmas

学生時代によく聴いたクリスマスアルバムはアレクサンダー・オニールのMy Gift to Youで、まだ手元に持っていて毎年聴いている。リリースは1988年だから、もう30年近くになるのか! その中に入っていたドニー・ハサウェイのThis Christmasは近年他の人たちによるカヴァーもよく耳にするようになったが、オリジナルの歌い回しにはやっぱりグッとくるものがある。

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I Saw Mommy Kissing Santa Claus

10年前ぐらいに買ったFree & Easyのクリスマスコンピレーションの冒頭に入っていたのがジャクソン5の「ママがサンタにキスをした」。近頃はマイケル10歳の歌声にわけもなく涙腺が緩んでしまうようになった。そういう年齢になったということだ。歌い出しの I の音程が揺れるところがまたいいんだよね。

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桐原書店のこと

一般的に、つまり教育あるいは出版業界で働いているわけではない人にとって、それほどニュースヴァリューのある話ではないかもしれないが、その筋の人には非常に大きな出来事が先週あったので記録しておく。

2017年10月30日、図書印刷株式会社(東証一部7913)が株式会社桐原書店の株式の51%を取得して子会社化することを発表した(IR資料PDF)。取得価額は12億円弱。会社四季報の2017年秋号で

【模索】編集・制作の印刷周辺や学校図書分野でM&A意向。

と書いてあったのは、こういう形でひとまず実現したわけだ。図書印刷学校図書株式会社をすでに傘下に収めており、上記のIR資料によると、新たにグループに加わる桐原書店との2社を統括する持株会社を100%子会社として設立する意向。桐原書店は参考書や教科書が主力、こちらは高等学校の英語と国語を手がけているのに対して、学校図書は小中学校向けの教科書が主力であり競合する部分は少なく、シナジー効果が見込めると判断したものだろう。

ここから先は確たる情報源を示すことができない情報も含まれるので、読む方は話半分で受け取っていただきたい。

桐原書店は2000年前後から経営危機に陥り、Wikipediaにも2001年に英ピアソンの傘下に入ったことが記されているが、実はその半年ほど前にZ会という教育産業の会社が出資したことがある。Z会の当時の社長は「いい会社が手に入った」と喜んだらしいが、すぐに外資にさらわれてしまったのである。検定教科書を発行することは、発行した経験のない会社にとってはそれなりのステータスに見えるのかもしれない。

ピアソンのもとでの出版活動を嫌う人たちは離脱して、いいずな書店を設立した。いいずな書店は桐原の主力商品とまともに競合する英語の参考書を出したりしたので、そのことも桐原の経営再建がうまく進まなかった一因になったかもしれない。2013年にピアソンは桐原の経営から手を引くことを決め、マネジメント・バイアウトによって独立させることにした。株式は新経営陣に格安で売り渡したとされていて、その金の動き(あるいは契約の中身)は不透明だが、今のところ部外者には確認のしようがない。

MBOによる独立後も桐原の経営陣は会社売却を模索していて、2015年には資格試験対策などを手がけるTAC(東証一部4319)への全事業譲渡を発表した。その際に従業員はいったん全員が解雇されて改めてTACの入社試験を受けることとされ、結果的に労働組合の幹部を全員落とすという露骨な採用差別も行われた。ピアソン傘下の時代から労使関係は良好ではなかったのだがまだ引きずっていたのだ。組合に同情的な著者らが新会社への出版権の移転を拒否したこともあり、結局この事業譲渡自体が中止された。

それから2年経ってこの発表。これまで桐原の上を通り過ぎてきた会社に比べると、はるかにマシな会社が登場したという印象である。従業員にとっても現経営陣にとっても望ましい結果ではないだろうか。労使関係が正常化して経営再建がうまくいけば、安定した永続的な関係になるだろう。そうなることを期待したい。

今日は何の日:7月25日

試験管ベビーの誕生

1978年7月25日、世界初の体外受精技術(in vitro fertility; 略して IVF)による出産が成功しました。生まれた子供の名前はルイーズ・ブラウン Louise Brown といい、イングランドマンチェスター郊外にあるオールダム地域総合病院で帝王切開による分娩でした。当時から倫理的に非難する声もありましたが、この成功によって不妊に悩む人々に希望が広がったことは間違いないでしょう。

当時の日本の報道では「試験管ベビー」という言い方がなされました。英語での a test tube baby という言い方を直訳したものでしょうが、時代を感じさせます。

また、こういう形での出産が行われたことを当事者の名前もそのまま発表するというのは、現在の人権感覚からは外れているようにも思えます。報道記事で扱われることでその生育費用をまかなうという契約があったようです(BBCの記事より)。