z is for zokkon

50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

サンデーといえばサイレンスだったのに

山下達郎のサンデーソングブック聴きました。

問題のコメントは、直後からネットに全文の書き起こしが上がっていますね。

anond.hatelabo.jp

いろいろ意外だった点がありました。

まず、松尾潔さんに対して少しは慇懃な敬意を見せるかと思いきや、もう全然会ってなくて年に数通のメールだけ、向こうがスマイルカンパニーに顧問料を払うという関係、と完全に切って捨てました。松尾氏のやり方がよほど腹に据えかねたんですね。

なかでも逆鱗に触れたのはたぶん、日刊ゲンダイに載った文章の締めくくりだったんじゃないでしょうか。達郎が作詞作曲したOPRESSION BLUESの歌詞を引用していました。最新作に収録した反戦の歌ですが、この文脈で使われるということは、「身近にいる被害者を守る姿勢を見せることもせず、弾圧だの銃声だの遠いところに関してきれいごとを訴えるだけでいいんですか」と啖呵を切られたのと同じですからね。「最高の先輩」とかさんざん持ち上げておいて最後にこれ。激怒したとしてもおかしくない。

もう一つは、ジャニー喜多川への変わらぬ敬意を表明したこと。小杉理宇造氏について名前を直接出さなかったのは予想通りでしたが、ジャニーズとの関係は同氏を媒介とするビジネスと割り切っているのかと勝手に思っていました。全然そうじゃなかった。つまり、義理や人情は小杉氏だけに向けられたのではなかった。ジャニー喜多川も含んだ人間関係が構築されていたのだと知りました。

BRUTUS山下達郎特集号が手元に2冊あるのでパラパラ見てみましたが、音楽人としてのジャニー喜多川を評価したような記述は見つけられませんでした。だから音楽を通した結びつきもあるとは認識していなかったのです。かつてサンデーソングブックで初代ジャニーズを高く評価して曲をかけたことがあるという情報は今回Twitterで知りました。

BRUTUSは2018年と2022年に達郎を特集

BRUTUS誌上で印象的だったのは、楽曲提供した近藤真彦についてのエピソードです。筒美京平が手がけた後に回ってきた仕事で、ナンバーワンを取らなきゃいけないというプレッシャーもある。そんな中で闘争本能を燃やした。近藤がそれまでに発表した曲のすべてを聴き込んで、音階が上がっていく発声は弱いが逆に下がっていく順次進行は安定度が高いという特徴をつかみ、メロディーを工夫したとか。ポップ職人の面目躍如です。そういう制約がある環境でベストを尽くすのが達郎は好きなんですよね。

ジャニーズのグループというと、人数はたくさんいるのに歌はだいたいユニゾンで、コーラスグループ愛好家の達郎の指向とは相容れないのかと思っていました。勝手な思いこみだったようです。考えてみれば、達郎と関係の深い KinKi Kids や少年隊なんかはハモっているわけですし。

小杉家・山下家・藤島家の結びつきは本当に強かった。

今回の騒動で音楽業界からは、松尾氏のやり方は恩を仇で返す行為だといった声も聞こえます。周辺の関係者で快く思っていない人はかなりいそうです。一方、達郎のコメントのほうも、書いた文章を読み上げたにしては表面上の礼すら欠く稚拙なものに見えて、そのことには長年のファンとしてがっかりしました。ネット世論では松尾氏の圧勝でしょう。この先どう動くのか、外野として注目しています。

新旧のサクセスストーリー、松尾潔と山下達郎

松尾潔氏がスマイルカンパニーとの契約を解除されたと明かしてから、ネット界では山下達郎が「こだわりの強いポップミュージックの職人」から「性犯罪者を擁護する悪人」へと一気に変わった感があります。

ラジオでのしゃべりを書き起こしたテキストなんかあんなに人気だったのに。

そういえば昔々、まだブログが普及する前のこと、僕はHTMLを手打ちしたファイルで個人テキストサイトをやっていまして、達郎の音楽のすばらしさを全世界に向けて発信(笑)していたことがあります。英語版も作って、唯一ブラジルから反応がありました。「同意します! 達郎は最高です!」と。えーあなたの国のジョアン・ジルベルトとかカエターノ・ヴェローゾのほうがいいんじゃないのと思ったものですが。柳ジョージも好きだと言っていました。その後交流は途絶えてしまったのですが、シティポップの流行で達郎が脚光を浴びていることについて感想を聞いてみたかった。

今回火をつけた松尾氏は、僕と同学年(早生まれなので暦年では1つ下)。大学生のころから黒人音楽の専門誌でライターとしてよく名前を見かけていましたが、気づいたら音楽を制作する側にまわっていて、作詞作曲もしてレコード大賞を受賞するような大立者になっていました。

徒手空拳からここまで上り詰めるのはそうそうお目にかかれないサクセスストーリーです。そして今回の騒動は、さらに一段階上のサクセスをつかむ重要局面になりそうで、外野からわくわくしながら眺めています。

日刊ゲンダイに載った文章に現れているように緻密な計算をめぐらせることができ、熱意と行動力も併せ持ち、狙ったことを着実に実現させてきた人という印象です。人の心をつかむのも上手そう。ビジネスマンとして最強の部類に入るでしょう。

www.nikkan-gendai.com

今回も、エンターテインメント業界が世界的に人権も大事にする方向に地殻変動を始めていることをしっかりつかみ、その流れに乗ろうとしているのだと思います。それによって業界に属している人が余計な心配をせずのびのび働けるようになり、良質な作品を持続的に生むことができる環境ができるなら、悪いことはなにもありません。持ち金全部を松尾さんにベットしたい。

しかし、スマイルカンパニーはその方向に動こうとはしなかった。

音楽評論家/プロデューサーの高橋健太郎氏は(スマイルカンパニー上層部は)「本件で松尾がインフルエンサーになる、ゲームチェンジャーになることに不快だった。許さなかった」と表現していました。論理的には松尾氏の示した方向性が正解に違いないのに、同社上層部の感情がそうさせなかったのでしょう。

スマイルカンパニーの会議で社長(小杉ジュニア)が「小杉家と山下家と藤島家は義理人情でつながっている」と発言したという話が漏れ伝わっていますが、唐突に「家」が出てきたのに違和感あるいは嫌悪感を覚えた人も多かったようです。小杉理宇造氏と達郎の個人的な信頼関係はともかく、なぜ家?と。そのことを考えていて思い至ったのが、松尾氏からの「提言」は宮廷革命を小杉ジュニアに対して勧誘するものだった可能性です。少なくとも親世代のスマイルカンパニー上層部はそう感じた。小杉ジュニアはその誘いに乗らなかったけれど、松尾氏への共感もある程度示したため、上層部はまだ実権を渡すつもりはないという意思表示として、釘を刺す意味で「家」という表現を使わせた、というのが僕の推測です。

小杉理宇造氏と達郎の結びつきについては、達郎自身がリマスター盤のライナーノートに書いた文章などで明らかにしています。

バンドの解散による精神的ダメージと、シュガー・ベイブで目指した1960年代テイストやレコード・マニア的趣味性が当時の日本の音楽状況にまったく受け入れられなかったことへの挫折感とで、私は自分がこの先どうすればいいのか皆目わからなくなっていました。

そこで第三者にプロデュースとアレンジを任せて自分の力量を客観的に判断してもらおうと考え、海外でレコーディングを行うことをソロ契約の条件として設定したということです(ただし小杉氏の回想は少し違っていて、他社にほぼ決まっていたのをRVCが海外録音という条件をのんでさらった)。しかし新人には見合わない予算が必要。

妄想にもとづいて何人かのアレンジャーとミュージシャンを想定し、当時ソロ・シンガーとして契約したいと声をかけて来たレコード会社数社に諮ったところ、当然ながらどの会社も一様に難色を示しました。(中略)

そんな中でひとりだけ、RVC(現BMG)の若いディレクターが手を上げてくれました。

引用はソロデビューアルバムCIRCUS TOWNのライナーノートから

これが小杉理宇造氏。滞米経験と英語力を生かしてニューヨークとロサンジェルスでの録音の話をまとめ、達郎の歌手としての活動の基盤をつくったのです。盟友であり恩人なのでしょう。この当時の達郎の心境を思うとグッときます。これもまた松尾氏とは違いますが徒手空拳からのサクセスストーリーで、それを支えたのが小杉氏なのです。それ以来の堅い絆があるから、小杉氏が独立してレコード会社をつくったときも達郎は行動をともにした。絆がなによりも優先するという判断は、ヤクザの論理だと言われればその通りですが、理解はできます。

よくわからないのは、小杉氏がなぜそこまで藤島家に忠誠を誓う必要があるのかという点です。悪名高い近藤真彦中森明菜の金屏風会見の背後にも小杉氏がいたというのは知られた話だったようですが、僕は今回初めて知りました。かつてグループサウンズにいて、ミュージシャンの待遇改善に動いたことがあるということも。初めは高い理想に燃えていた人が闇堕ちしてダークな実力者と一体化するなんてドラマティックな話が現実にあるんですね。

山下達郎は明日のサンデーソングブックでコメントを発表するそうです。小杉氏の謎に包まれた部分についてなにか言ってくれないかなあ。無理だと思いますが。

広末涼子も高知の女だったか

4月に朝ドラらんまんにかこつけて広末涼子愛を語って2か月。いやそんなに語ってないか。その記事をリンクした先のFacebookで友人たちとそういう話になりました。その頃には想像もしていなかった事態にびっくり。

ところで、メディアでは広末の名字を発音するとき、「ろ」が一番高くなる抑揚をつけるのが標準的ですが、地元高知では基本的に平板アクセントで発音されていると思います。「底冷え」とかと共通。

さて、今回のスキャンダルが明るみに出た際、「西原理恵子と同郷だし、あんなにかわいくなければ今頃は子供連れてパチンコ打ってる人生」というようなツイートを見かけました。

それは違う。たぶん。

実家は高知の城下で一番栄えている(あるいは栄えていたと過去形にすべきか)区域で商売をやっていて、庶民の中でも格上。漁師町育ちの西原とは環境が違う。お母さんは県外から連れてきた(おそらくは)美人だし。

だから自分たちの代表という感じではなくて、まあ何というか、王室のはねっかえりの姫が馬術でオリンピックに出場しているのを少し誇らしく思いつつ応援するみたいな感覚で、ちょっとイタい言動も含めて支持していました。少なくとも僕は。この感覚が高知でどれだけ共有されているのかわかりませんが。

その気持ちは今回のことがあっても別に変わりません。

しかし、離婚歴があって自分で稼いでいる女性で気の強さも持ち合わせている。これこそまさに高知の女性、はちきんのあり方そのものではないですか。客観的に見ると西原との違いがわからないのは当然。

ちなみに、高知出身ではない我が妻に言わせると、「高知の女性は全員はちきん。例外はない」とのことです。いや例外あるろうと思いますが妻は少なくとも会ったことがない。

そういえば広末がこれまでつきあったとされる男性の中で、つきあう前には知る人ぞ知る存在だったのが、一般の人にも注目される存在への上昇を果たした人はけっこう多いんじゃないでしょうか。一昔前ならあげまんと呼んだのだろうと思いますが、最近はその言葉をあまり聞かなくなったかな。そんなに品のいい言葉じゃないのでそれはよかったと思いますが、そういうところもちょっと誇らしい気持ちになる要因だったかも。

少し前に出版された広末の著書が、今や「不倫デスノート」なんて呼ばれているそうです。僕はいち早く買って手元に置いているのですが、読んでいて気恥ずかしく感じる部分もあり、なかなか読み進められないでいたらこんなことに。そしてもっと恥ずかしい直筆の手紙まで公開されて。それは読む気になれないどころではなく、頭に来て個人的に文春不買運動を展開中です。

カバーの箔押し、やや横長の判型など造本も凝っている

広末にとっては今までになかった逆風で、今後の展開は予断を許しませんが、上にも書いたとおり、広末を応援する気持ちはいささかも揺らぐことはありません。これからの彼女の人生に幸多かれと祈ります。我々はずっと味方です!

4日連続で走ると……疲れます

このところすっかりランニングからは遠ざかっていて、3月に走ったのは3回、4月はゼロ、5月は2回といった具合でした。

それが、6月に入ってからもう4回も走っています。それも、6日から4日連続で。

というのは、国連UNHCR協会が主催する「WOMEN+BEYOND私たちから、世界を変えよう」というイベントに参加しているからです。昨年もやっていたそうですが気づいてなかった。今年は、バングラデシュでの避難生活が6年目を迎えたロヒンギャ難民の自立支援がテーマだそうです。ミャンマーからバングラデシュの難民キャンプまでの距離をともに体験することを通じて、支援を行うというものです。

https://www.japanforunhcr.org/appeal/women-beyond

6月6日から20日までの間に、50kmという距離をランニングまたはウォーキングで踏破します。1000円、3000円、5000円という寄付つきエントリーのほかに、無料エントリーもできます。Runtripというランニング支援アプリ/サービスを通じてエントリーして計測、所定の距離を累積で踏破すれば完走賞/完歩賞がもらえます。

無料エントリーなら金銭的には支援になりませんが、それでも参加することに意義があるのは、参加人数が多くなればなるほど、こうした現実があることを世間に広く知らせる力になるからですね。

ゴールが設定されている6月20日花田裕之さんの誕生日……というだけではなくて世界難民の日。そこを目標にするので、日本では梅雨時という条件のよくない季節に実施するのですね。

さて、15日間に50kmということは、平均して1日あたり3.3km走ることになります。しかし、雨で走れない日もあるでしょう。1日あたり5kmを10回走るとすれば、期間中に5日休んでも大丈夫という計算が成り立ちます。

と考えて初日から5kmランを始めたのですが……初日はRuntripアプリを使わないで走ってしまい、5.6kmがカウントされない痛恨のミス。

気を取り直して翌日から3日連続して走りアプリを使って計測、昨日までで17.39kmを記録しています。少々の雨でも、翌日にもっと降るかもしれないから少しでも距離を稼いで、大雨のときに休めばいいという考えでわりとがんばって今のところ4日連続で走っています。

Runtripに投稿するとたくさんの人から声援を受けます

それにしても、ひところは5kmつまり皇居一周に相当する距離なんて別になんてことない距離だと思っていましたが、しばらく体を動かさないでいるうちにそれもきつく感じるようになっていました。

しかも4日連続というのは本当に久しぶりなので、相当無理をしているように感じます。

走り始めの段階で、腰骨にひずみがあるに違いないと思わせるような違和感があったり。

足の親指の爪の内側が内出血していたり。ユニクロで買ったスポーツソックスを履いていると、たぶん隣の指が当たる衝撃がそのまま爪のところにきているのでしょう。タビオの5本指ソックスを買い直さなければ。

まだ筋肉痛が出ていないのはむしろ怖いところですが、この調子でいけばなんとか20日までには50km走破は達成できそうです。

これを読んで興味を持った方、エントリーは19日まで可能なので、今からでも参加しましょう!

大雨の翌日に都会の川は

台風2号に刺激された前線からの降雨で、6月2日を中心に全国で大変なことになりました。被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。

杉並区にはちょっとした雨でもすぐ氾濫していたことで有名な善福寺川がありますが、環状7号線の地下に大規模な貯水池を造ったりして対策を進めてきたおかげで、氾濫することはめったになくなりました。今回、3日未明に氾濫したというツイートを見かけててっきり信じてしまったのですが、真偽不明です。何かにつけて区長や区議会の親区長派を攻撃したがる勢力がいるようで、災害もそれへの対応も格好の口実にされてしまいます。災害情報も素直に信じることができない難儀な世の中になってしまいました。

夜が明けてからも朝のうちはまだ雨が残っていましたが、昼ぐらいからよく晴れたので、その善福寺川の様子を見に行きました。

全長10kmという短い川で、大雨が降ってあふれるぐらいの水量になったとしても、雨が上がればすぐに水位が下がります。もちろん、流量はしばらく(といってもせいぜい1日)多いし、流れも速くなるのですが。

善福寺川で暮らしている魚や水鳥や亀なんかは激しい大雨の時どうしているのか気になりますよね。それが心配で見に行ったという面もあります。

今日の午後に行った時点では、もうかなり水位も下がって草地も露出していたので、鳥の姿はたくさん見かけることができました。カモのひなもいます。スッポンが甲羅干しをしていたり。

左がカモの親子たち、右がスッポン

驚いたのは野球場。和田堀野球場という施設があって、周囲の道路より低いところに造ってあり、調整池の機能も兼ねているのです。ちゃんと「6号調整池」という名前もついています。同様の機能を持つテニスコートもありました。

知識としては知っていましたが、実際に池になっているのを見たのは初めて。写真には撮れませんでしたが、今日はふだんベンチとして使われている辺りをカモが泳いでいました。「冠水のため利用不可」「再開は未定」と書いた張り紙がありました。川の水は上述のようにすぐ引きますが、野球場をまた使える状態にするには時間も手間もかかりそうです。

大雨の翌日の和田堀野球場(6号調整池)

いったん自然に手を加えて人間の都合のいい状態に作り替えてしまったら、その状態を保つ必要が生まれ、そのためには多大なエネルギーを注ぎ込まなければならないんですよね。これは都会に限らないのですが。その大変さの一端に触れた散歩でした。

東京でも蛍狩り!

先週の土曜日つまり5月27日のことです。新聞の朝刊に「光の舞 にぎわい少しずつ」と題する記事が載りました(朝日新聞首都圏版)。「東京にホタルが舞う季節がやってきた」で始まります。妻がこれを読んで思い立ち、その日の晩さっそく野川に行ってきました。

自宅からは鉄道とバスを乗り継いで、1時間ほどで都立野川公園の正面入口に着きます。芝生の空間をバイリンガル家族が駆け回っている脇の道を抜けてしばらく行くと、野川の細い流れに沿った遊歩道に行き着きました。

空はまだ明るい時間帯でしたが、流れのあたりはやや暗く、おそらくコウモリが飛び交っていました。そして、ホタルが青白い光を点滅させながら飛ぶのもすぐにわかりました。

最初は2、3匹かな?と思いましたが、流れに沿って歩いていくとそれどころではなくたくさんいて、数を数えるのは途中であきらめました。
(なお、チョウなどと同様にホタルも専門的には1頭、2頭と数えるのだそうです。)

スマホで写そうとしてみましたが、肉眼でははっきり見えるのに、カメラでは露出時間を長くするとかしないと全然とらえられないんですよね。

妻が撮った写真にはホタルの光が写っていた

蛍狩りに来ている人もたくさんいて、同じ新聞記事を読んで来たらしい会話も聞こえました。子供連れの家族もいて、自分なら川に落ちないか気が気じゃないだろうなとか余計な心配まで。しかしデリケートであろうホタルにとって大事な繁殖の機会なのに、平気でスマホをぴかぴか光らせている人たちが多かったのは気になりました。注意している人もいましたが。

それにしても、23区外の多摩地区とはいえ東京で、こんなにたくさんのホタルが観察できるのは貴重なことです。少しずつホタルの数は増えてきているそうですが、その流れを大事にしたいものです。

ChatGPTの使いどころ

週刊東洋経済のChatGPT特集号が売れ行き好調で、ビジネス雑誌なのになんと3刷までいっているとのこと。日本政府もしっかり流行に乗っかっているし、勢いは目を見張るものがあります。

僕も仕事に活用しようと思い、いろいろな場面で試してみています。

まず、パソコンにやらせる作業というか、スクリプトを組むのに力を借りました。

note.com

これはそこそこうまくいったと思います。

次に、スーダン情勢に関連する調べ物をしていて思い出したことがあり、それをきっかけに連想を広げて文章を作るのに役立てることはできないかと考えました。

思い出したことというのは、英語の地名と定冠詞の関係です。

スーダンの国名の公式な英語表記は、the Republic of the Sudan です。

www.mofa.go.jp

これを知ったら驚く中学生はけっこういると思います。「地名にはtheがつかないんじゃないの?」と。 たしかに、国名でも the United States みたいに一般名詞的な名称には定冠詞を使いますが、固有名詞的な部分にはつきません。the United States of the America と書けばバツで、the United States of America が正しい書き方です。 アフリカの国名で比べてみると、例えばガーナ共和国は the Republic of Ghana であって、やはり Ghana の前に the はつけません。

ところが、Sudan には the がつきます。正確にいうと、辞書に「しばしば the 〜」といった注記がついているように、the をつけない言い方もありますが、上の外務省サイトに示されているように、the をつけることが多いのです。川や山脈、砂漠などの名称に基づく国名にそうした傾向が見られます。

ほかにどんな国名があったっけ、と思ってChatGPTに訊いてみました。

the Sudanやthe Bronxのように地名に定冠詞がつく英単語がありますが、ほかにどういった地名にtheがつきますか。

これに対する回答。

英語の地名には、定冠詞 "the" がつくものとつかないものがあります。以下は、定冠詞 "the" がつく主な地名の例です。

また、以下のような特定の場所を指す場合にも定冠詞 "the" がつくことがあります。

  • the airport (空港)
  • the beach (ビーチ)
  • the hospital (病院)
  • the mall (ショッピングモール)
  • the park (公園)
  • the zoo (動物園)

ただし、地名に定冠詞 "the" がつかない場合も多く、例えば次のような地名が挙げられます。

  • London (ロンドン)
  • Paris (パリ)
  • Tokyo (東京)
  • New York (ニューヨーク)
  • Sydney (シドニー)
  • Beijing (北京)

最初の例示の中にオランダのハーグが含まれているのは予想通りでしたが、それ以外はこれじゃない感がありあり。それぞれ理由があって the がついているのですが、理由が違うものも一緒くたにされているように見えます。 そこで意地悪く畳みかけてみました。

求めていた回答とは微妙に違います。例えば、The SaharaだとThe Sahara Desertの後ろの一般名詞Desertが省略されたものと考えることができます。では、the Sudanは何が省略されているのでしょうか。the Bronxの場合は?

すると、

申し訳ありません。回答が不十分でした。

"the Sudan"という表現では、実際には何も省略されていません。"Sudan" は単独でも地名として使われますが、"the Sudan" という表現は19世紀に現在のスーダンが英国領エジプトの一部だった時期に使われ始めたもので、当時の地政学的な背景から "the" が付けられたものです。同様に、"the Bronx" も "Bronx" という地名に "the" が付けられたもので、その由来についてはいくつかの説がありますが、確定したものはありません。

一般的には、地名に "the" が付くかどうかは、その地名が単一の場所を指すものか、複数の場所や地域を指すものか、または単なる場所や地形を指すかどうかによって異なります。

なんかそれらしいことを言っていますが、理由の核心は明確に述べられていません。言質を取られたくないごまかしの答弁のようで頭に来ますね。

スーダンについて、「当時の地政学的な背景」をもう少し詳しく解説してください。

と問い詰めます。

19世紀のスーダンは、オスマン帝国支配下にありました。1881年ムハンマド・アフマド・ビン・アブドゥッラーが指導する反乱軍がオスマン帝国に対して反乱を起こし、この反乱は「マフディー戦争」として知られるようになりました。この戦争は、1885年にマフディーによってスーダンが占領されるまで続きました。

1898年には、イギリス・エジプト連合軍がオマル・アル・バシール将軍を指揮してマフディー軍を破り、スーダンをイギリスの保護領としました。この時期に "the Sudan" という表現が広まったのは、スーダンがイギリス領エジプトの一部であったことからきています。つまり、"the Sudan" は、イギリス領エジプトに属するスーダンという地域を指す表現として使われるようになったのです。このような政治的・歴史的な背景から、スーダンには "the" が付くようになりました。

あれれ、なんか変なことになってきました。19世紀のオスマン帝国スーダンまで支配下に収めていたんだっけ? 下の段落でも、オマル・アル=バシールというのは1998年にクーデターで政権を掌握した軍人で元大統領、現在も存命です。「連合軍が将軍を指揮してマフディー軍を破り」という日本語も変です。

最近よく見かける「ChatGPTの嘘松」みたいな話になってきたので、ここでやめました。

結局、知りたかったことは普通のGoogle検索で「スーダン 地名に定冠詞」と入れて出てきた論文「地理に関連する固有名詞と英語の冠詞の用法―コーパスを用いた分析―」を読めば解決しました。

現時点での結論としては、スクリプトのように入力(条件)と出力(目標)がはっきりしていてそれを結ぶ最適な経路を示させるといったケースでは期待通りでしたが、質問側が正解を持っていない場合は難しい感じ。 条件をそろえても、思うような例示を得るのも難しいんだなという感想を持ちました。他のアプローチも試してみたいと思います。