今日は何の日:7月25日

試験管ベビーの誕生

1978年7月25日、世界初の体外受精技術(in vitro fertility; 略して IVF)による出産が成功しました。生まれた子供の名前はルイーズ・ブラウン Louise Brown といい、イングランドマンチェスター郊外にあるオールダム地域総合病院で帝王切開による分娩でした。当時から倫理的に非難する声もありましたが、この成功によって不妊に悩む人々に希望が広がったことは間違いないでしょう。

当時の日本の報道では「試験管ベビー」という言い方がなされました。英語での a test tube baby という言い方を直訳したものでしょうが、時代を感じさせます。

また、こういう形での出産が行われたことを当事者の名前もそのまま発表するというのは、現在の人権感覚からは外れているようにも思えます。報道記事で扱われることでその生育費用をまかなうという契約があったようです(BBCの記事より)。

今日は何の日:7月24日

キッチン討論

冷戦下の1959年7月24日、モスクワで開かれていたアメリカ博覧会の会場内のキッチン展示場で、東西の両大国の指導者によるディベートが行われました(AFPの記事BBCの記事)。「キッチン討論」と呼ばれています。論争をたたかわせたのは、ソ連側はニキータ・フルシチョフ Nikita Khrushchev 共産党第1書記、米国側はリチャード・ニクソン Richard Nixon 副大統領でした。この時点で市民生活の豊かさという点では西側が大きくリードしていたことを見せつける展示になっていたという評価が上記のリンクからは読み取れますが、東側の体制が崩壊して冷戦構造が終焉するにはそれからまだ30年以上かかりました。

今日は何の日:7月23日

ヴィック・モローが事故死

1982年7月23日、オムニバス映画『トワイライトゾーン/超次元の体験』Twilight Zone: The Movie の撮影中に、ヘリコプターの事故によって主演のヴィック・モロー Vic Morrow (当時は「ビック・モロー」という表記が一般的)と子役2人が死亡するという事故が起きました。この短編を監督していたジョン・ランディス John Landis は刑事責任を負うことは免れましたが、大きな精神的打撃を受け、その後の映画製作にもこの事故が大きな陰を落としたと言われています。

今日は何の日:7月22日

エドワード・ホッパーの誕生日

米国の画家、エドワード・ホッパー Edward Hopper は1882年7月22日ニューヨーク州ナイアックで生まれました。ロバート・ヘンライ Robert Henri が教えていたニューヨーク美術学校 New York School of Art で学び、アメリカの普通の人々の生活を乾いた質感で描いた具象画で知られています。1967年5月15日に没しました。

個人的には、南佳孝の1982年作『セブンス・アベニュー・サウス』のジャケットに使われた Nighthawks が強く印象に残っています。ニューヨーク録音、デイヴィッド・サンボーンニック・デカロなどが参加の名盤。

今日は何の日:7月21日

アスワン・ハイダムが完成

ナイル川の巨大ダム、アスワン・ハイダムが完成したのは1970年7月21日のことでした(ナショナル・ジオグラフィックの記事)。 ナセル大統領時代のエジプトで最大の国家プロジェクトです。 1954年に建設が決定しましたが、エジプトのチェコスロヴァキアからの武器購入計画が明らかになると、対ソ接近を嫌って英米が資金を引き揚げ、ナセルは資金調達のために1956年スエズ運河の国有化を発表しました。これがイスラエルおよび英仏とエジプトとの第2次中東戦争スエズ戦争)を引き起こします。エジプトは軍事的には敗北しますが、国際世論を味方につけてスエズ運河の国有化を勝ち取り、イスラエルと英仏を撤退させることに成功しました。ダム計画はソ連の援助を受け、1970年に上記の通り完成しました。

今日は何の日:7月20日

第1回スペシャルオリンピックス国際大会が開会

スペシャルオリンピックス」とは、知的障害のある人たちのスポーツを通じた自立や社会参加を支援する団体です。米国の故ケネディ大統領の妹、ユーニス・ケネディ・シュライバー Eunice Kennedy Shriver が1962年に知的障害のある子供たちを集めてデイキャンプを行ったのがきっかけで発足しました。ケネディ財団が支援して活動が米国とカナダに広がります。日常のスポーツトレーニングの成果を発表する場として競技会が企画され、第1回の夏季国際大会が1968年7月20日に米イリノイ州シカゴのソルジャー競技場で開催されました。 (公益財団法人スペシャルオリンピックス日本の公式サイトより)

今日は何の日:7月19日

ビルマ建国の父」アウンサン暗殺

ビルマ(現ミャンマー)の英国からの独立を目指す闘争は第1次世界大戦後から盛んになり、太平洋戦争中の日本による軍政を経て1948年1月4日にビルマ連邦共和国として独立を達成します。完全な独立を目前に控えた1947年7月19日に、独立運動と抗日闘争を指揮してきたアウンサン Aung San (1915-47) はほかの閣僚らとともに暗殺されました。

アウンサンは学生運動の指導者として頭角を表し、次いで独立運動組織の「われらビルマ連盟」(別名タキン党)に参加します。日中戦争で援蒋ルートを分断するために独立運動を利用しようとした日本軍の協力を得てビルマ独立義勇軍を組織して戦い、英軍を駆逐するのに成功すると、1943年8月に名目上「独立」したビルマ国の国防相に就任します。しかし日本の軍政に対する疑念が強まり、1944年には共産主義者らも糾合して反ファシスト人民自由連盟(パサパラ)の前身を組織しました。1945年3月27日に日本軍に対して蜂起して連合軍に協力します。戦後は再び英領となりましたが、独立交渉をアトリー内閣に対して粘り強く行い、1947年1月に「アウンサン・アトリー協定」Aung San-Attlee Treaty を結んで1年以内の完全独立を約束させました。

暗殺事件は、アウンサンの政敵だったウー・ソオ U Saw の指示によるものだったとされ、ウー・ソオは後に死刑になりますが、実は他に黒幕がいたという説もあるようです。ちょっと幕末の日本を思い起こさせます。

なお、アウンサンの長女がノーベル平和賞受賞者で現在はミャンマーの国家顧問を務めるアウンサンスーチー Aung San Suu Kyi です。日本語では「スーチー女史」などと呼ばれることもありますが、ビルマ人は姓を持たず、アウンサンスーチーが一つの名前なので、分けるのは本当はおかしいのです。