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50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

なぜかあまり問題になっていないソフトウェアアップデートにモバイル通信を勝手に使われる件

表題の件にずっと悩まされています。

スマートフォン持ちになって何年経つのかもう覚えていませんが、数年前からiPhoneを使ってきて、今はiPhone SEの第2世代。何回か落としてひびが入っている箇所もあるのでそろそろ買い替え時かと思っています。

通信会社はauで、一番安い従量料金プランです。データ通信が1Gを超えると跳ね上がります。さすがに1Gでは足りないので、IIJのeSIMで補うという運用をしていて、月の携帯電話料金は自分の分だけでいうと3000円ぐらいに抑えています。

それが、去年の10月ぐらいから、データ通信が爆増するようになって困っています。

上記のような運用なので日々データ通信量をチェックしていますが、外出する時間が短い日なら1日あたり20MBぐらい、外にいる時間が勤め人と同じくらい長い日でもせいぜい60MBといったところでした。ポケモンGOをやっても。

それが、気がつけばわずか1日で300MB以上も消費するようになっていたのです。

以前、iCloudへのデータアップロードだか確認だかにモバイル通信を使っていたのがわかったことがあり、それ以来そこはオフにしてあったのですが、今回の原因はソフトウェアアップデートでした。

どうせWi-Fiにつないでいる間にしか更新しないのに、モバイル通信でアップデートが来ているかどうかわざわざチェックする意味はありませんよね。

そこで自動アップデートをオフにしました。

ところが、コンサートとか映画の間に電源をオフにして再起動したら、この設定がなぜかキャンセルされていて、やっぱりモバイル通信を使ってソフトウェアアップデートを確認しにいっているらしき現象に遭遇しました。

そこで、外出先で電源を落とすのをやめ(機内モードにして)、自宅にいる間はモバイル通信自体をオフにすることにしました。

さらに、主にTwitterで検索して、「設定>モバイル通信>通信のオプション>データモード」で「省データモード」にするという対策の情報を得ましたが、自分のマシンには「通信のオプション」という項目がなく、そこはやっていませんでした。

そして今日、ずっと家にいてiPhoneには触っていなかったら、またもやソフトウェアアップデートにモバイル通信を勝手に使われていました。今月だけで700MB以上! 全体の通信量も1GBを超えてしまいました。

今月だけでこんなに使われ、副回線に切り替えてもやっぱり…

こんな無意味な通信のために何千円もKDDIに払わされる!

さすがに頭に来て、アップルのチャットサポートを利用して文句を言いました。そうするとやっぱり「設定>モバイル通信>通信のオプション>データモード」で「省データモード」にする方法を案内されましたが、「通信のオプション」という項目自体がないと伝えると、電話によるサポートに切り替えることになりました。

それで画面共有しながらオペレーターに点検してもらいつつ方法を教えてもらい、「省データモード」にする方法は把握しました。しかしアップルでもこの現象の原因はまだ究明に向けて努めているところで、抜本的な対策はないとのこと。ほんと勘弁してほしい……。

でもTwitterで検索したところ、この現象で困っている人って少ない感じです。みんな7GBとかのプランで余裕があるんですかね。格差社会ですね。

考えてみれば、以前はソフトウェアアップデートには時間がかかるので途中でスリープにならないように電源につないでから実行してね、みたいな注意があったと思うのですが、今はなくなっていますね。ということは、画面が暗くなっていてもバックグラウンドでモバイル通信を継続するようになっているのでしょう。一方、Wi-Fiのほうは(あくまでも僕が見た印象ですが)画面が暗くなる待機中は通信も切っているように見えます。言い換えればWi-Fiよりもモバイル通信の継続性のほうを優先するようになったというか。このあたりが関係して不具合が起きているんじゃないかなあと想像しています。素人考えですけどね。

いずれにしても、モバイルデータ通信を明示的にオフにしているのだからその間はずっとオフにしておいてくれれば文句は言いません。とにかく早く直してほしい。

その言葉、土佐弁ネイティブは使いません!

NHKの朝ドラ、高知県民の多くが待ち望んでいた牧野富太郎博士をモデルとする「らんまん」が始まって1週間が経ちました。

出演者に広末涼子島崎和歌子といった高知県出身者をそろえたこともあって楽しみにしていました。関連本も多くの書店でいい場所にたくさん陳列されています。

さて、高知県人にとって、ドラマでの土佐弁は常にわりと気になるポイントです。まあ高知県人に限らないのでしょうが。

第1週を見る限り、かなりツッコミを入れたくなる感じでした。単語のイントネーションが違うのは、子役たちのほか、主人公の祖母役の松坂慶子、初回にちょっとだけ出ていた主役の神木隆之介などなど、ほとんどの演者がそうでした。意外ですが主人公の母役、広末涼子も。

広末はよく知られているとおり高知出身ですが、高校に入って以来東京で生活しているので高知の言葉を忘れかけているのかもしれないと思いました。お母さんは高知出身じゃないんですよね。お父さんが学生時代に知り合って、連れ帰ってきた女性。だから広末涼子にとって土佐弁は家庭内の第1言語じゃなくて、後天的に習得した可能性があると思っています。

こう想像するのは、実は僕自身もそれに似ているからで、書き始めるとちょっと長くなりますが説明します。

高知県旧国名では土佐一国で、国全体が高知藩でもあったし、人口も少ないから一枚岩だと思っている人は多いかもしれませんが、そうではないのです。南西部の幡多地方は文化圏が違うんですね。律令制以前には波多国造の支配する領域で、土佐の中央部よりも先進的な地域だった可能性があるともいわれています。

幡多は言葉も違います。幡多弁はおそらく九州北東部の言葉に近く、イントネーションも京阪型ではなく東京型です。語彙も土佐弁とは多少違います。調べたら愛媛の宇和地方あたりも同じ抑揚の特徴があるそうで、おそらく歴史的には一体の文化圏を形成していたのだろうと想像します。

ja.wikipedia.org

で、僕の父母は両方とも幡多の出身で、結婚してからしばらく旧幡多郡土佐清水市に住んでいて、僕が4歳の時に高知市に引っ越してきたという経緯があります。というわけで、我が家は家庭内では母語の幡多弁を使い、外では後天的に習得した第2言語土佐弁を使うという一種の多言語話者家庭になったわけです。マスメディアを通じて遭遇するいわゆる共通語もあるので、それだけで3種の方言を覚えなければならなかったし、土佐弁もイントネーションが共通の関西方言の影響を受けて変質し続けているという言語状況でした。

広末の場合は幡多弁という要素はなかったでしょうが、土佐弁と共通語のバイリンガルではあったのだろうと想像します。

そういう場合、第1言語でも第2言語でも、語彙やイントネーションの面で自信をもって発話できないことがあるんですよね。もちろん習得の度合いによりますけど。

というわけで、広末涼子の土佐弁に怪しいところがあったからといって理由がないわけではないのです。

そもそも「らんまん」は脚本の段階で土佐弁の話者によるチェックをあまり受けていない気がします。イントネーションだけなら、撮影の場の雰囲気に流されて本来とは違う言い方をしたのに方言指導者も見逃してしまうことがあるかもしれませんが、土佐弁の語彙にはない言葉が含まれている場面もけっこうあったので、脚本の問題だと思います。

「きっと」とか。たぶんネイティブは使いません。

あと、「ちゅう」を使いすぎじゃないかなと思います。県外の人にとって土佐弁の典型なんでしょうね。

「ちゅう」は助動詞で、英語でいう現在完了形を表します。過去のことが現在に影響を及ぼしていることを表し、細かくいうと過去の結果として現在の状態に至っているという用法が多いでしょうか。たとえば、「雪が降りゆう」は現在進行形であって現在の状態を表すのに対して、「雪が降っちゅう」は現在完了形であり、明け方にかけて雪が降った跡がある(けど今は降っているとは限らない)という感じですね。過去形にして「ちょった」とすると過去完了形になります。

共通語の語彙にはないので、日本語話者は英語の完了形をマスターしづらいといわれますけど、土佐弁話者は「ちゅう」を知っちゅうきに誰っちゃあ苦労しやせん。

広末のせりふ「命に満ちちゅう」を共通語に訳すと「命に満ちている」になりますが、これだと進行形のようにも聞こえます。過去から満ちてきて現在も満ちているというニュアンスが「満ちちゅう」には含まれているのです。ただ幕末の土佐の人はこんな発話はしなかったでしょう。現代の共通語で発想した言葉を土佐弁に訳した感じですね。

逆に言うと、「ちゅう」を知ると使いたくなるので、進行形を表す「ゆう」を使うべきところに「ちゅう」を使っているのではないかという例が散見されました。

ほかにも気になる語彙がありましたが、あまりに長くなるのでこの辺で。

広末が第1週であっさり退場してしまって寂しい限りですが、主人公が死期の近づいたお母さんの好きな花を摘んできたつもりだったのに、改めて見て「これはお母ちゃんの好きな花じゃない!」と叫ぶところは、この先の展開を予想させて希望が持てました。来週からも楽しみに見たいと思います。

土佐の初夏の味覚、小夏と葉桜を並べてみました

思いがけず金麦をもらってしまったら

このブログでも書いたことがありますが、発泡酒とか新ジャンルというカテゴリーの商品はリソースの無駄遣いだと思っていて、ふだん自分で買うことはありません。嫌悪していると言ってもいい。それでも、社会生活を営んでいるとたまに飲む機会があります。

場末の安い酒場でビールを頼んだのに出されたのが金麦(か何か)だったり。

親戚の家に行ったら「ビール好きだよね」ということで用意してくれていたのが新ジャンルだったり。

会社の会議室で飲み会をやるときに、係の人がビールのほかに新ジャンルもとりまぜて調達していたり。ヱビスとかの高級ビールと黒ラベルやラガーのような普通のビールと新ジャンルが混在していると、普通はまずくて安いのが余りますよね。貧乏性だからそこで飲みたくもないのに飲んでしまうという。

製造元が「ビールと同等の味なのに安価な代替物」としてマーケティングしているので、ビールが別に好きじゃない人はそういうものだと思っているんですよね。

最近、また新しいシチュエーションが加わりました。

町内会の花見が中止になって、用意していた弁当が配られることになったのですが、その配布セットの中に飲み物として金麦が入っていたのです。家に帰って袋を開けてみてびっくり。麦茶とかほうじ茶でよかったのに。まあ、宴会用に用意してあったのが余っても困るということだったのでしょう。

今さら返しに行くわけにもいかない。

ハードボイルド小説の主人公なら、暴漢に殴られて気絶して目覚めた朝に傍らに金麦があったら、栓を開けてそのままトイレに流すところでしょうが。

貧乏性向けの解決策を思いついたので試してみました。

金麦レッドアイ。

かつてアサヒスーパードライのような好きじゃない味のビールを似たような状況で入手したとき、トマトジュースを混ぜて飲んでみたら別にまずくなかったという成功体験があったのです。

レシピは、トマトジュースとビールを1対1の割合で混ぜるのが基本です。なにかスパイスをかける流儀もあるかも。

グラスにはまずトマトジュースを入れ、後からビールを注ぎます。泡を保つためにはこの順番のほうがいい。

ビールの代わりに金麦で、さあどうでしょう。

初めは間違えてトマトジュースを後から注いでしまった

うーん、やっぱりうまくはない(オブラートに包んだ言い方)。

後味の爽やかじゃなさは変わりません。

かつ、トマトジュースで増量するわけなので、1人で飲むのだといつまでも終わりません。350mLのビール(または金麦)ならグラス3杯で飲み切りますが、5杯も6杯もできてしまうので。

腹一杯になるというかタポタポになるばかりで、とんでもない苦行でした。もう二度としません。

次にこういう機会があったら、ジンジャーエールを使ってシャンディガフを試してみます。またはレモンスカッシュでパナシェ

桜と雨

東京のソメイヨシノの開花日は3月26日、満開日は4月3日というのが1981年から2010年までの平均値に基づく平年値です(出典:理科年表2021)。今年は3月14日に開花、3月22日に満開を迎えました。平年よりずいぶん早いことがわかります。

かつて自分が中学校に上がったとき、入学式で新入生代表が読んだ宣誓文の冒頭に「満開だった桜も葉桜となり」みたいなフレーズが含まれていたことを思い出します。南国高知でも4月上旬にはまだ桜が散りきってはいなかったのです。そういえば、同級生に言われて思い出しましたが、自分の高校の卒業式では答辞が「桜花匂う4月」で始まる格調高い文章でした。答辞を読んだ同級生は若くして亡くなってしまいましたが……。

今年は開花自体も早かったし、東京では花が咲いた後で本格的な雨が降りましたから、4月を迎える前に散ってしまうかもしれません。

近所の小学校では24日に卒業式。この日の午前中は好天に恵まれて、関係者にとっては幸いだったと思います。これからは桜の思い出が入学式ではなく卒業式に結びついていくのでしょう。

その週末の日曜日には町内会が公園で花見会を予定していました。桜の開花スケジュールを見て日程を決めたわけではなかったのかもしれませんが、満開直後の週末になり、ドンピシャのタイミングかと思いました。

しかし本降りの雨。

発注していた弁当を近くの神社で配るだけになってしまい、何年ぶりかの花見と楽しみにしていた人には残念な結果に終わりました。

とはいえ、期待したようにはならないのは世の常。年によって行事や出来事の関係が変化するのを楽しめる状況というのは、恵まれているのでしょう。

公園の桜、雨の翌日

サイモン・ブースの死を悼む

1月の終わりに、鮎川誠の訃報に衝撃を受けた話を書きましたが、その後も思春期以降に影響を受けた人たちが次々と鬼籍に入っていきます。バート・バカラック笑福亭笑瓶ウェイン・ショーター大江健三郎……。

昨日は英国の音楽家、サイモン・ブース Simon Booth ことサイモン・エマーソン Simon Emmerson の訃報が流れました。67歳での早すぎる死。

柳楽光隆氏のnoteで、サイモンが80年代英国で起こったアシッド・ジャズ・ムーヴメントの重要人物であったことがジャイルス・ピーターソンのコメントで示されています。

note.com

僕はサイモンのことはワーキングウィーク Working Week のギター/作曲担当者/プロデューサーとして把握していて、それは柳楽氏の理解と同じ文脈に位置づけられると思いますが、ほかにもいろいろな場所で活躍した人です。一般的には、ネオアコの代表的存在であり渋谷系の源流の一つであるウィークエンド The Weekend のギタリストとして、あるいは商業的に成功したアフロ・ケルトサウンドシステム Afro Celt Sound System の創設者という認識をしている人が多いかもしれません。

名盤Working Nights

ワーキングウィークのファーストアルバム Working Nights はたしか妹に存在を教えてもらったと思います。1985年発表で、高校3年から大学に入学する年にかけてよく聴きました。シャーデーなどを手がけたロビン・ミラーとサイモンの共同プロデュース作品です。

冒頭マーヴィン・ゲイの Inner City Blues のカヴァーで始まります。ストリングスも入ったビッグバンドのアレンジで、間奏でのサックスソロがいきなり転調して始まるところがめちゃくちゃかっこよくてしびれました。その後は寂しげな曲調が続きますが、イギリスというのはこういう感じなのかと思って聴いていて、アラン・シリトーなんかを読む伏線になったと思います。

このアルバム、日本盤はラテンビートのインスト曲 No Cure No Pay で終わる8曲を収録していたのですが、オリジナルの英国盤ではもう1曲あることを知ったのは、大学に入ってからでした。オミットされた Stella Marina は後に日本独自企画のミニアルバムに収録されたのを聴きました。ほぼインストで16ビートにサルサっぽいラテンパーカッションが乗るかっこいい曲でしたが、11分もあったので入れたら音質に悪影響が出ると判断されたのでしょう。

B面3曲目 Venceremos (We Will Win) は、チリのピノチェト将軍によるクーデターのさなかに惨殺された抵抗のシンガーソングライター、ビクトル・ハラに捧げた歌で、アルバムでは7インチエディット版が使われていますが、ラジオでもっとかっこいいヴァージョンを聴いたことがありました。これは上記の国内企画盤に入っていたかな? Jazz Dance Special Version と名づけられた長いヴァージョンで、トレイシー・ソーンやロバート・ワイアットが参加しています。僕が利用しているサブスク音楽サービスにはこのヴァージョンは入っていないと思い込んでいましたが、なんとロバート・ワイアットのベストアルバム Different Every Time に収録されていて、また聴くことができました。ありがとうロバート!

生で聴いたWorking Week

そんな風に聴き込んだワーキングウィークですが、生の演奏に触れる機会もありました。1986年6月のことです。この数年前から、渡辺貞夫がプロデュースするブラバスクラブというイベントが毎年開催されていて、貞夫さんが選んだ世界の注目すべきミュージシャンを何組も連れてきてライヴを行うという、今思えば大変に豪華なイベントがあり、その中の一組としてワーキングウィークが呼ばれていたのです。バブルの恩恵。

会場は渋谷のザ・プライムにあったせいよう広場というライヴレストラン。今あるハコでいうと六本木クラップスを少し大きくした感じでしょうか。大学の友達を誘って行きました。女の子を誘ったけど断られたのだったかな。ライヴの内容はほとんど覚えていませんが、その時点では未発表だった South Africa という曲を演奏したのはなぜか覚えています。反アパルトヘイトの歌。ウェブ上に残っている記録を見ると、貞夫さんもどの曲かでゲストとして参加したようですが、全然覚えてない……。

このときのブラバスクラブ出演者にはブラジルのトッキーニョやスティールパン奏者アンディ・ナレルなどがいて、ほとんどは貞夫さんとのつながりが想像できたのですが、その中でイギリスのニューウェーヴの流れを汲むワーキングウィークは異彩を放っていました。なぜ選ばれたのか説明はあったかなあ……。読んでいたら記憶に残っていたはずだと思うのですが。

近いようで遠かったSimon Booth

そうやって少なからぬ接点があったサイモン・ブースですが、今思えばもっと深く掘ればよかったと後悔しています。

ワーキングウィーク前史のウィークエンドなんかちゃんと聴いたのは今回の訃報に接してからです。音楽雑誌に載っていたジャケ写で音を想像するだけだったという……。ラテンやジャズの香りが思った以上に強くて、ヴォーカルの声質は野宮真貴に似ているし、家人に「これピチカート・ファイヴ?」と訊かれたほどです。

ワーキングウィークのアルバムは数年後に出たBlack & GoldというCDを持っていましたが、エレクトロニクス色が強いハウスになっていて、あまり好きじゃなかったな。

その後、サイモンが大きな役割を果たしてアシッド・ジャズ・ムーヴメントが盛り上がったときも、「アシッドっぽくもないしジャズでもないのにアシッド・ジャズ? 自由でも民主的でもないのに自由民主党のようなものか」なんて思ってちゃんと聴かなかったのは悔やまれます。情報込みでしっかり聴いていたら、この当時からイギリスの音楽シーンでは(ブルーアイド)ソウルやダンスミュージック周辺とジャズミュージシャンの距離が近かったことが実感できていたのではないかと。その流れは今でも脈々と続いているわけです。本気で追いかけていたら、もっといろいろなことが見えていたんじゃないかな。

長い闘病の末だったという情報もありますし、サイモンが住んでいた家をジャイルス・ピーターソンが買ったという話から考えて、経済的にはあまり恵まれなかったんじゃないかと想像しますが、世界中の多くの人に大きな影響を与えたことは間違いありません。充実した人生だったのだろうと思います。彼の魂が安からんことをお祈りします。

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木星と金星が最接近

ここ数日、夕方から夜にかけての西の空に目立って輝く2つの星がありました。より明るいのが宵の明星こと金星、小さいのが木星です。

毎日のようにスマホのカメラで撮って、ソーシャルメディアに上げていました。

2/22, 2/23, 2/26, 2/27, 2/28

最初は月とあわせて3連星みたいでした。

今日(3月2日)が最接近する日で、月が1個分ほどの間隔まで近づくようですが、午後4時を過ぎた現段階で東京では空に厚い雲が垂れ込めています。昨日もそうでした。そこまで近づいた瞬間を写真に収めるのは難しいかな?

でも、明日以降も晴れたら見られるので、しばらくは日没後の西の空に注目してみたいと思います。

整備済みPCを買って泣く泣く返品

昨日に引き続き泣いてばかりですが、この場合は本当に泣いたわけではありません。

会社を興して以来、Mac miniEIZOのモニターで仕事をしているのですが、Windowsマシンが必要な状況もたまにあり、ノートパソコンを買おうと思い立ちました。

コストを抑えるため、整備済み品で。Amazonで「正常に機能し新品同様に見えるよう、検査、テスト、クリーニング済みです」と銘打たれています。製品ライフサイクルも延びるから地球環境にも優しい。アップル製品でも整備済みのMacBook Proを買って長年使っていますし、ほかのメーカーでも同様に問題ないだろうと考え、レノボThinkPad X1 carbonを選びました。一ケタ万円。

翌日には届いて、その次の日に開封。キーボードの中央部にあるポインティングデバイスというか赤いポチが新品同様と呼ぶには妙にすり減っているとは思いましたが、それ以外の見た目はたしかに新品同様でした。

ところが、firefoxブラウザやzoomクライアントなど必要なソフトウェアを入れたりしてしばらく触っていると、気管支あたりというか喉の奥のほうで痰がたまってくる感触がありました。たばこの煙を吸い込んだ際によく起きる現象です。そういえば、あまり心地よくない香料のような臭いもしています。

おそらく、このマシンは喫煙者がそれなりの期間使ってきたものを整備し直して見た目はきれいに仕上げたものだろうと判断し、少し外に出して有害物質が消えるか様子を見ようと思いました。

というわけでカバーを開けたままベランダに放置しておいたのですが、家人が「風でひっくり返ったりしたら困るし埃が入るかもしれない」と主張するので、それもそうだと思い、乾燥剤を入れたビニール袋に入れてみました。それでは化学物質が拡散することは期待できないだろうと思いましたが、とりあえず数時間置いてみました。もう一度開けてみると、やはりいやな感じの臭いは消えず、返品することにしました。

整備済み品というのは店頭でのディスプレイ用に使ったり誤発注で返品されたりして中古扱いになってしまったものが主かと思っていましたが、使い込まれた中古品も特に排除していないのですね。業者によるのかもしれません。

返品の際は返品用の文書を出力し、着払いでAmazonに送ればいいので手続きは簡単だし費用はかからないので金銭的ダメージはありません。しかし、必要はまったく充足されなかったわけなので、ベンダー選びからやり直しです。そこは痛い。

それにしても、喫煙者には想像しづらいかもしれませんが、たばこの影響は後々まで残るものですね。三次喫煙(残留受動喫煙、サードハンド・スモーク)と呼ばれ、厚生労働省でも情報提供がなされています。そこでは「健康影響についてもまだ明らかではありません」なんて書かれていますが、喘息の既往症がある身の実感からすると、明らかに悪影響があります。早く研究を進めてほしいです。メルカリなんかで喫煙者か否かを明記することが推奨されると聞いたことがありますが、それはこういうわけです。気持ちはよくわかります。

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月と金星、それに木星