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50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

今日は何の日:7月11日

テルスターが史上初のテレビ衛星中継に成功

1962年7月11日、米国の通信会社AT&Tが打ち上げた人工衛星テルスターが、米国とフランスそして英国との間でテレビ映像を通信することに成功しました。12日という日付を採用している文献もありますが、大西洋の両岸での時差によるものです。

技術的には新しいものはなかったようですが、当時の社会に与えたインパクトは絶大でした。 英国の音楽プロデューサー、ジョー・ミーク Joe Meek がこの衛星の名前を冠した Telstar という曲を作り、トーネイドース The Tornados に演奏させて米国でチャートのトップを記録する大ヒットとなりました。ビートルズ以前の話です。後にベンチャーズもカバーしました。

ジョー・ミークがその後のポピュラー音楽シーンに与えた影響については、クッキーシーンというメディアに掲載された論考が非常に興味深いので紹介しておきます。 JOE MEEK『I Hear New World(Reissue)』(RPM / HAYABUSA LANDINGS) - COOKIE SCENE

大滝詠一が「さらばシベリア鉄道」で下敷きにした「霧の中のジョニー」Johnny Remember Me もミークの作品です(歌はジョン・レイトン John Leyton)。

私が Telstar という単語を初めて知ったのは、ザ・ルースターズ2枚目のアルバム The Roosters a Go-Go のB面最後の曲としてでした。ベンチャーズの演奏もトルネイドーズの演奏も知りませんでしたし、当時持っていた英和辞典を引いても Telstar という単語は発見できませんでした。とりたててすごい曲とは思わず、いかにもB面最後の曲らしい曲だなあという印象でした。

今日は何の日:7月10日

大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドが最終号を発行

1843年創刊の英国の大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールド The News of the World は2011年7月10日、最終号を発行して168年の歴史に幕を閉じました。同紙はメディア王ルパート・マードックが所有する多数のメディアの一つで、その数年前から有名人らに対する盗聴を行っているという疑惑が問題になっていました。この時期にマードック氏が率いるニューズ社は英衛星放送BスカイBの完全子会社化を計画しており、盗聴疑惑がその障害になるのを防ぐためにニューズ・オブ・ザ・ワールドは切り捨てられたのだと考えられました。

疑惑は、2005年の王室報道で限られた関係者しか知らないはずの情報が記事になっていたことから表面化し、下院の委員会で公聴会が開かれるなど追及が行われましたが警察も当初は及び腰でした。しかし盗聴の対象が有名人だけではなく殺人事件の被害者家族などにも及んでいることなどが明らかになり、2011年7月には元編集長でキャメロン首相(当時)の首席報道官だったアンディ・クールソン Andy Coulson らが逮捕される事態になり、廃刊が決定されました。

ニューズ・オブ・ザ・ワールドは日曜のみ発行される大衆紙としては最大の部数を誇っていて、英国の大衆文化には大きな影響を持っていました。ロックバンドのクイーンが1977年に発売した6枚目のアルバム『世界に捧ぐ』の原題は News of the World で、この新聞の名前です(「ウィ・ウィル・ロック・ユー」と「伝説のチャンピオン」を収録)。ザ・ジャムはこの新聞を題材とした News of the World というシングルを1978年に出しています。プリテンダーズの「チェイン・ギャング」Back on the Chain Gang にも登場します。一般名詞をもとにした固有名詞なので使いやすいという面もあったかもしれません。

今日は何の日:7月9日

「金の十字架」演説

1896年7月9日、米国イリノイ州シカゴで開かれた民主党全国大会で、ウィリアム・ジェニングズ・ブライアン William Jennings Bryan が「金の十字架」演説を行いました。「労働者の頭に茨の冠をかぶせるべきではない。人民に金の十字架を背負わせてはいけない」、すなわち「金本位制を維持することによるデフレで人民を苦しめてはならない」と主張したものです。この演説は聴衆からの熱狂的な支持を集め、ブライアンは36歳の若さで民主党の大統領候補に選ばれることになります。

米国は1873年には実質的に金本位制に移行しており、この時期は金の絶対量が不足して通貨価値が上がり、物価が下がるというデフレ不況下にありました。ブライアンは自由銀運動の活動家で、金本位制をやめて金銀複本位制に移行し、銀貨の自由鋳造を認めて通貨の供給量を増やすというインフレ政策を主張しました。その支持基盤は西部の農民層で、1892年の大統領選において第三党として100万票を獲得して無視できない勢力となった人民党 People’s Party of the United States of America(略してポピュリスツ Populists)と重なっていました。

しかし本選挙では、金本位制維持・高関税政策を主張する共和党のマッキンリー候補にブライアン候補は敗れてしまいます。米国はすでに工業化・都市化が進行しており、東部工業都市ではブライアンの政治姿勢は受け入れられなかったのです。マッキンリーは第25代大統領として、米西戦争などを通じて対外進出を本格化させることになります(本欄7月7日の項)。

今日は何の日:7月8日

ロズウェル事件

1947年7月8日に米国ニューメキシコ州ロズウェル陸軍飛行場の報道官が、飛行場付近で何らかの飛行物体が墜落したと発表しました。しかし軍はその痕跡を消し、正式な報告は結局なされず、この事件そのものは忘れ去られました。なぜかその後30年も経ってこの出来事が注目を浴び、「戦後最大の隠蔽事件」と目されるようになったのです。

この事件についてはいくつかの説があります。

  • 謎の物体は米国政府の秘密兵器で、その実験が失敗したのを隠そうとしたものだ
  • エイリアンの円盤が墜落したのだ
  • ソ連のミサイルが墜落したものだ
  • 地球の中が空洞で、そこに住んでいる地下人が引き起こした事件だ

以上の記述は海野弘『陰謀の世界史』を参考にしました。他にも説はあるかもしれません。同書ではこの事件を扱った章で、冷戦とUFOの関連について、さらにはインターネットとの結びつきについて興味深い考察が披露されています。

今日は何の日:7月7日

ハワイ併合

1898年7月7日、アメリカ合衆国第25代大統領のウィリアム・マッキンリー William McKinley(共和党)がニューランズ決議と呼ばれるハワイ併合決議案に署名しました。これによって、ハワイ王国を滅亡させて発足したハワイ共和国の主権がアメリカ合衆国に委譲され、1875年頃から着々と準備を進めてきた併合が現実のものとなりました。この決議案の前にハワイ併合条約が議会に上程されていましたが、批准に必要な票数に達しない可能性がありました。そこで、上下両院でそれぞれ過半数の賛成を獲得すれば有効になり、かつ効力としては違いのない「決議案」という手段が取られたものです。ニューランズとは、この決議案を起草した民主党の下院議員フランシス・ニューランズ Francis G. Newlands の名前です。8月12日にはマッキンリー大統領がハワイを準州として米国領に編入することを宣言します。

マッキンリー大統領の対外政策は、ヨーロッパとアメリカの相互不干渉を基本とするモンロー主義を大きく転換するものでした。ハワイ併合に先立つ1898年2月15日に勃発したメイン号爆沈事件を口実として、スペインに対して戦争を起こし(米西戦争)、海外進出を本格化させます。この戦争で太平洋地域ではフィリピンが主戦場となりましたが、その戦いを有利に導くためにもハワイを編入することが必要であったわけです。

今日は何の日:7月6日

スコット・ラファロ逝去

ジャズ・ベーシストのスコット・ラファロ Scott LaFaro が1961年7月6日、ニューヨーク州のハイウェイでの交通事故で亡くなりました。25歳の若さでした。

ラファロはビル・エヴァンス Bill Evans のトリオ(もう1人のメンバーであるドラムスはポール・モチアン Paul Motian)での演奏で特に知られています。ピアノトリオにおいてリズム面と低音部で支えるというそれまでの標準的なベースの役割をはみ出して、自由に動き回ってピアノと絡み合うスタイルは、エヴァンスを大いに刺激したものと思われます。そればかりでなく、以降のモダンなピアノトリオの原型になったとも言えます。

このメンバーでの録音は、1959年12月28日録音の『ポートレート・イン・ジャズ』Portrait in Jazz に始まり、『ワルツ・フォー・デビィ』Waltz for Debby, 『サンデー・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガードSunday at the Village Vanguard, 『エクスプロレーションズ』Explorations まで期間にしてわずか1年半あまり、アルバム4枚だけですが、いずれも何十年経っても色あせず愛聴に値するものです。

このうち、『ワルツ・フォー・デビィ』と『サンデー・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』の2枚は、ニューヨークのジャズクラブであるヴィレッジ・ヴァンガードで1961年6月25日に行われた5セットのライヴ演奏から選んで編集したものです。ラファロが亡くなったのは、この素晴らしい演奏から10日後のことです。誰しも想像すらしていなかったことでしょう。エヴァンスは衝撃のあまりしばらく演奏活動をやめてしまいます。

上記の4枚の中でも最も有名であろう『ワルツ・フォー・デビィ』を私が初めて入手したのは、1990年代初め頃のCDで、オリジナル盤の順番ではなく別テイクを直後に続けるというスタイルの編集でした。つまり、Waltz for Debby のテイク2(オリジナル盤収録)の直後に同じ曲の(オリジナル盤には未収録の)テイク1が続いていたりしたわけです。テイクの違いを分析しながら聴くにはよかったのかもしれませんが、流れがぶった切られてつらいものがありました。その後、別テイクは別テイクでまとめて後ろに配置するスタイルのCDも出ました。それから、CD3枚組のコンプリート版すなわち6月25日の演奏すべてを収録した商品も出て買いましたが、「世界初登場」というふれこみの曲が、機材の不調で中断されたものだけだったりして、改めてオリジナル盤の演奏と編集の素晴らしさを感じたものです。

そして今回これを書くに当たって調べると、昨今のLP復活ブームに乗って、アナログ盤も発売されているではありませんか! やっぱこれだよねー。村上春樹もエッセイ集『ポートレイト・イン・ジャズ』の中で「片面三曲でひと区切りをつけて、針をあげて、物理的にほっとひとつ息をついて、それで本来の『ワルツ・フォー・デビー』という作品になるのだと僕は考えている」と書いています。しかし現在の我が家にはアナログ再生装置がないのです……。

今日は何の日:7月5日

ケネス・レイ死去

2006年7月5日、米国の大企業エンロンの実質的な創業者だったケネス・レイ Kenneth Lay が心臓発作のため死亡しました。64歳でした。

エンロンはもともとテキサス州の地場の天然ガスパイプライン企業が1985年に合併してできた会社でしたが、規制緩和の波に乗って合併や買収を繰り返して規模を拡大していきます。やがてエネルギー企業の枠を超えて私設市場をネット上に立ち上げ、電力やガス、原油などエネルギー商品の先物取引なども手がけ、90年代には目覚ましい成長率を誇っていました。この急成長をCEOとして主導したのがケネス・レイです。実際にはその陰で簿外への損失隠しや利益の水増し、循環取引インサイダー取引など数々の不正が行われていたのですが、明るみには出ませんでした。2001年10月にウォールストリート・ジャーナルが不正会計疑惑を報じたのをきっかけに株価が急落し、それがさらに損失を拡大させるという悪循環に陥り、連邦破産法第11章適用を申請して倒産します。

成長と不正が並行して進行している中の企業文化や、不正を監視する仕組みの機能不全、献金を通じた政治家の動かし方など、この事件が企業のあり方に対して投げかけた問題点や教訓は多岐にわたります。現在の日本でも他人事ではないと言っていいでしょう。

ケネス・レイは証券詐欺などの罪で刑事訴追され、2006年5月に陪審によって有罪が確定しました。量刑は未確定でしたが10年を超える服役を余儀なくされることは確実でした。しかし収監される前に死を迎えたのです。