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悪意

さすがに悪意を覚えた」という記事の「悪意を覚える」という言い方にぼくもちょっと違和感を覚えたが、すでにコメント欄で突っ込まれていた。『新明解国語辞典』(手許にあるのは最新版ISBN:4385131449)を引いてみると、「悪意」の語義は3つ定義されていて、最初のは「相手に不幸・苦痛を与え、傷つけようとする心」となっている。「悪意のない冗談」「悪意を抱く」という用例が与えられている(なお、上記引用の表記は辞書には従っていない)。「悪意を抱く」がいいのなら、「悪意を覚える」もよさそうなものだが、やっぱり感覚的にしっくりこない。なんか気持ち悪いのだ。コロケーションの問題。なお、「コロケーション= collocation」というのは要するに共起関係ですね。ある語がどういう語と結びつきやすく、どういう語と結びつきにくいかという傾向。コーパス言語学の進展で研究が急速に進みつつある分野なので、いずれ日本語のコロケーション辞典もいいのができてくると思う。
ところで、「悪意」には『新明解』で3番目の語義である「法的に問題となるような事実を知っていること」という意味があって、その対義語は「善意」。一時期「善意の第三者」という言葉が話題になったことがあって、自分のブログ(これは移転させた後の場所で、初出時のURLは別だったと思う)で指摘したんだけど、id:kowagari の人は逆リンクしてくんなかった。あのときはぼくも悪意を覚えたね。実際にはもちろん別の人からメールで直に指摘があったんだろうけど。
ついでに言うと、「違和感を感じる」という言い方に違和感を覚えている人もけっこういるようだ。「感」が重なるから。ぼくは重複を避けるために動詞に「覚える」を多用しているが、「違和を感じる」というのを使っている人もいる。ぼくの感覚では、逆にそっちの方が使用域を逸脱して(つまり堅すぎて)気持ち悪い場合が多いと思う。だって普通に「違和感」て言うじゃん。それをわざわざ封印すると話し言葉からの乖離が大きくなってよくないと思う。さて、このように同じ意味の語を重ねて使うことを「重言」というが、間違いではないように思う。『問題な日本語』ISBN:4469221686.136には、次のように書かれている。「違和感」の話ではないが。

「犯罪を犯す」は〜ヲに〈動作・作用の結果生じるもの〉をとるもので、「歌を歌う・選挙戦を戦う・遺産を遺す」なども同じ。重言として追放すべき言い方ではない。