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辞書編集者から見た『舟を編む』

三浦しをん舟を編む』、辞書編集部を舞台にした長編小説とあっては読まずにはいられないではないか。しかもかなり売れているらしく、今日買い物のついでに寄ったブックファースト新宿店では4位だった(店舗全体なのかフロアなのか文芸部門なのかは見なかったけど)。地味な辞書業界がこういう形で脚光を浴びるのはうれしいことだ。
かつて「辞書作りの舞台裏」id:zokkon:20091010 なんてのも書いた手前、その観点から何か発言することを期待されているのではないか……とは全然思わないけど、なじみのある場所についての小説なので、読んだことを記録しておきたい。
実際の辞書編集部の様子はどれだけ忠実に反映されているのだろうという興味はだれもが持つものと思うけど、考えてみたら同じ会社でも国語辞典編集部の実際の仕事ぶりとかあまり知らないんだよね。基本的に言葉に対する感受性が鋭いというか好奇心が強くて勉強熱心な人がやってるという点では、作中人物も現勤務先の国語辞典編集者も同じ。世間の一般的なイメージもこんなものかな。でも監修者と毎週のように打ち合わせとかはしてないと思う……いや、謎の部屋とかあるし、国語辞典編集部では打ち合わせの回数も多いのか?
全般に一昔前の姿じゃないかな、とは思った。たとえば、「用例採集カード」の存在。僕のいる英語辞書の編集部ではカードは作っていないし保管してもいない。コーパスをつくってコンピューターで処理しているから。用例カードを作ると、どうしても典型例よりも目につくおもしろい用例に偏りがちになる。個人で用例カードを持っている執筆者・編集者はいると思うけど。本作の舞台の玄武書房では専用の保管場所があるようだが、そもそもそういう場所を用意できる資本力のある会社なのだろうな。ちなみに取材協力にクレジットされているのは岩波書店と小学館の辞書編集部。そういえばなんとなく小学館を思わせる描写なんかもある。
あと、辞書を作るビジネス的な意味。

作るのに莫大な金がかかるのはたしかだが、辞書は出版社の誇りであり財産だ。人々に信頼され、愛される辞書をきちんと作れば、会社の屋台骨は二十年は揺るがないと言われている。

かつてはそうだったことは間違いないけど、今だと20年はもたないんじゃないですかね……というより投資を回収できてるのか他人事ながら心配になってくる事例も……。
物語としては、倒さなければならない敵とか乗り越えなければならない困難とか出てくるんだけど、ちょっとショボかったし無理に作った感じがあったな。やっつけ仕事のクソ原稿を寄越す大学教授なんかが出てきて、あまりにありえない人物造形で失笑してしまった。むしろ、13年もかけたんだから、途中で無理解な財務担当役員の意向でプロジェクトが中止になりそうになる、みたいなドラマがないとね。春闘の団体交渉で担当の若い女性編集部員が大泣きして撤回、とかさ(追記:実際には、プロジェクトが中止になりそうになる局面は描かれているのだが、かなり初期の段階、しかも主人公の知らないところで漏れ聞こえる話でしかなかったので、インパクトは弱かった)。その点、OEDの成立過程を取り上げた『博士と狂人』はノンフィクションだけど大きな謎があってドラマティックだった。
舟を編む
三浦 しをん
4334927769
博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)
サイモン ウィンチェスター Simon Winchester
4150503060