某英和辞典の読者から、アヘン戦争の項(詳しく言うと opium の項の分離複合語 Opium War の記述)について、別の某英和辞典の記述と違うではないか、という叱責めいた指摘をいただくことがたまにある。僕の担当した辞書では、開戦した年が1840年となっているのに対して、ライバルの某辞書では1839年となっているのだ。
英和辞典というのは主に言葉としての英語のさまざまな現象を取り上げて解説したものだから、執筆者は主に英語の専門家であって、戦争とか事件とか歴史上の人物やその事績などは専門外ということになる。こうした事柄(百科的事項と呼んだりする)については、それぞれの分野の専門家に校閲を依頼するか、信頼の置ける参考文献を選んでそれに依拠するといった方法で対応している。いずれにしても編者以下の著者サイドよりも版元の編集部の責任が大きい領域と言えるだろう。「信頼の置ける参考文献」としては、学習辞典の場合は他教科の教科書や参考書のうちシェアの大きいものを用いたりする。
英国の辞書は伝統的に固有名詞を見出しから排除するという方法をとるところが多かった。その一方で形容詞はその辞書の守備範囲に入るので、頻度の高そうな(固有)名詞が立項されていない代わりに形容詞はある、といった一見不思議な現象も生じた。
それで、アヘン戦争だが、実際に戦端が開かれたのは1839年11月3日の川鼻の海戦だとされることが多いようだ。これを本格的な戦闘の開始と見れば1839年説をとるのが妥当だろう。一方で、英国政府が正式に清国への派兵を決定したのは1840年2月(陳舜臣『実録 アヘン戦争』中公新書 p. 169)。シンガポールから艦隊が出発したのが1840年6月のこと。そうした手続き的な面に注目すれば、1840年が開戦の年ということになるだろう。ちなみにWikipedia(日本時間2012年2月29日午後10時の時点)では、日本語版が1840年としているのに対し、英語版では1839年説をとっている。どちらも複数の執筆者が存在しているので一貫した解釈にならないのが普通だろうが、英語版で1839年3月18日を開戦日としているのは根拠がよくわからなかった。
実録アヘン戦争 (中公文庫)
陳 舜臣