NHKの朝ドラ、高知県民の多くが待ち望んでいた牧野富太郎博士をモデルとする「らんまん」が始まって1週間が経ちました。
出演者に広末涼子や島崎和歌子といった高知県出身者をそろえたこともあって楽しみにしていました。関連本も多くの書店でいい場所にたくさん陳列されています。
さて、高知県人にとって、ドラマでの土佐弁は常にわりと気になるポイントです。まあ高知県人に限らないのでしょうが。
第1週を見る限り、かなりツッコミを入れたくなる感じでした。単語のイントネーションが違うのは、子役たちのほか、主人公の祖母役の松坂慶子、初回にちょっとだけ出ていた主役の神木隆之介などなど、ほとんどの演者がそうでした。意外ですが主人公の母役、広末涼子も。
広末はよく知られているとおり高知出身ですが、高校に入って以来東京で生活しているので高知の言葉を忘れかけているのかもしれないと思いました。お母さんは高知出身じゃないんですよね。お父さんが学生時代に知り合って、連れ帰ってきた女性。だから広末涼子にとって土佐弁は家庭内の第1言語じゃなくて、後天的に習得した可能性があると思っています。
こう想像するのは、実は僕自身もそれに似ているからで、書き始めるとちょっと長くなりますが説明します。
高知県は旧国名では土佐一国で、国全体が高知藩でもあったし、人口も少ないから一枚岩だと思っている人は多いかもしれませんが、そうではないのです。南西部の幡多地方は文化圏が違うんですね。律令制以前には波多国造の支配する領域で、土佐の中央部よりも先進的な地域だった可能性があるともいわれています。
幡多は言葉も違います。幡多弁はおそらく九州北東部の言葉に近く、イントネーションも京阪型ではなく東京型です。語彙も土佐弁とは多少違います。調べたら愛媛の宇和地方あたりも同じ抑揚の特徴があるそうで、おそらく歴史的には一体の文化圏を形成していたのだろうと想像します。
で、僕の父母は両方とも幡多の出身で、結婚してからしばらく旧幡多郡の土佐清水市に住んでいて、僕が4歳の時に高知市に引っ越してきたという経緯があります。というわけで、我が家は家庭内では母語の幡多弁を使い、外では後天的に習得した第2言語土佐弁を使うという一種の多言語話者家庭になったわけです。マスメディアを通じて遭遇するいわゆる共通語もあるので、それだけで3種の方言を覚えなければならなかったし、土佐弁もイントネーションが共通の関西方言の影響を受けて変質し続けているという言語状況でした。
広末の場合は幡多弁という要素はなかったでしょうが、土佐弁と共通語のバイリンガルではあったのだろうと想像します。
そういう場合、第1言語でも第2言語でも、語彙やイントネーションの面で自信をもって発話できないことがあるんですよね。もちろん習得の度合いによりますけど。
というわけで、広末涼子の土佐弁に怪しいところがあったからといって理由がないわけではないのです。
そもそも「らんまん」は脚本の段階で土佐弁の話者によるチェックをあまり受けていない気がします。イントネーションだけなら、撮影の場の雰囲気に流されて本来とは違う言い方をしたのに方言指導者も見逃してしまうことがあるかもしれませんが、土佐弁の語彙にはない言葉が含まれている場面もけっこうあったので、脚本の問題だと思います。
「きっと」とか。たぶんネイティブは使いません。
あと、「ちゅう」を使いすぎじゃないかなと思います。県外の人にとって土佐弁の典型なんでしょうね。
「ちゅう」は助動詞で、英語でいう現在完了形を表します。過去のことが現在に影響を及ぼしていることを表し、細かくいうと過去の結果として現在の状態に至っているという用法が多いでしょうか。たとえば、「雪が降りゆう」は現在進行形であって現在の状態を表すのに対して、「雪が降っちゅう」は現在完了形であり、明け方にかけて雪が降った跡がある(けど今は降っているとは限らない)という感じですね。過去形にして「ちょった」とすると過去完了形になります。
共通語の語彙にはないので、日本語話者は英語の完了形をマスターしづらいといわれますけど、土佐弁話者は「ちゅう」を知っちゅうきに誰っちゃあ苦労しやせん。
広末のせりふ「命に満ちちゅう」を共通語に訳すと「命に満ちている」になりますが、これだと進行形のようにも聞こえます。過去から満ちてきて現在も満ちているというニュアンスが「満ちちゅう」には含まれているのです。ただ幕末の土佐の人はこんな発話はしなかったでしょう。現代の共通語で発想した言葉を土佐弁に訳した感じですね。
逆に言うと、「ちゅう」を知ると使いたくなるので、進行形を表す「ゆう」を使うべきところに「ちゅう」を使っているのではないかという例が散見されました。
ほかにも気になる語彙がありましたが、あまりに長くなるのでこの辺で。
広末が第1週であっさり退場してしまって寂しい限りですが、主人公が死期の近づいたお母さんの好きな花を摘んできたつもりだったのに、改めて見て「これはお母ちゃんの好きな花じゃない!」と叫ぶところは、この先の展開を予想させて希望が持てました。来週からも楽しみに見たいと思います。