前回書いたことと若干重複する内容になってしまいますが。
人との接触を制限することが求められる状況において、ふだん取り組んでいる運動を継続するかどうかは(人によりますが)大きな問題だと思います。
スローなジョギング程度で体力を保つように、なるべく平日でも走るようにしています。しかし、明確な指針が示されているわけではないので、Twitterなどで「ジョギングなんか迷惑。禁止してほしい」といった声も散見されます。ジョギング程度の強度なら、ソーシャルディスタンシング戦略をとればウイルスをまき散らすこともなく、心配は無用だと思いますが……。専門家会議などで言ってもらえれば納得する人は多いかもしれません。
そのソーシャルディスタンシング(social distancing)ですが、不思議な言葉ですよね。物理的な距離をとる方策なのにソーシャル。要するに人の交流にかかわることなので social という語を用いているのでしょうか。distance を動詞として使って socially distance で「社会的に距離をとる」という意味の表現が先にあって、それを名詞化すると形容詞 social との組み合わせで social distancing となる、という経路で定着してきた表現なのかな、と想像しています。distance という名詞があるのにわざわざ動名詞で distancing とするのは、動詞由来だということを明確に示すためでしょう。なお、record などのように同じ語形でも名詞と動詞で強勢の位置が異なる語もありますが、distance の場合は強勢の位置も同じです。
英語圏でも目新しい表現のようです。ロサンゼルスタイムズはこの行動に対する解説記事を3月18日に掲載して、その中で「fancyな言い方に見えるが」と書いています。この fancy は「突飛な」といった意味合いでしょうか。しかしその後は急速に理解が広がったようです。
海外の都市でのロックダウンと違って、人との距離をとることが日本では今のところあまり強調されていません。そこに注目が集まると「じゃあ通勤電車はどうするんだ」という声があがり、経済活動に大きな影響を及ぼしてしまうことを危惧しているからではないかと邪推しています。しかしそういうソフトな手段がとれるのもいつまでだろう、と暗澹たる気分になってしまいます。