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50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

アシンメトリーな男

竹内久美子という著述家がいまして、Wikipediaでは「動物行動学研究家」という肩書が与えられています。1990年代の前半あたりにはベストセラーをたくさん出していて僕も読んだことがありますが、今ではTwitterネトウヨっぽいトンデモ言説を連発する存在になり果てているようです。

まあ、ベストセラーになった著作も、と学会からトンデモ認定を受けるような代物だったので、本質が変わったわけではないのでしょう。

しかし、学者っぽい経歴の著者が、人間社会の様々な現象を遺伝子に原因があると鮮やかに一刀両断してみせるといった感じの読んでおもしろい文章をいろんな場所で発表していれば、それを娯楽として消費する人ばかりではなく、中には真に受けてしまう人も出てくるでしょう。そういう言説に社会での居場所を与えてしまった出版社の罪は大きい。

何が言いたいかというと、僕自身も竹内氏の主張した「シンメトリーな男はモテる」という説に未だにとらわれていることに気づいたのです。

いや、もうモテとかはどうでもいいんですけどね。

眉毛の高さが左右で違っていると、内臓のどこかがおかしいんじゃないかと疑ったり。

クロールの息継ぎも左右両方でできたほうがいいだろうと思って練習してみたり。

右手に何か故障があったときに備えて左手も使えるように箸やペンを練習してみたり。

……こうして考えてみるとシンメトリーを目指すのは身体にいい影響を与えるんじゃないかという気もしてきます。

最近気づいたのは、時計をつけている左手首のところだけが日焼けしてなくて白いことです。機能的には別段問題ないけど、時計を外したらちょっとかっこ悪いかな。

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こうして見るとそれほど白くもない?

そこで、時々は時計を右手にはめてみることにしました。そういえば学生時代に布施くんがそういうことをしていたなと不意に思い出しました。

ジョギングの時のGPSウォッチも、今日初めて右手にはめてみましたが、これまでにない違和感を覚えました。時計の操作自体もなんとなくやりにくいのですが、走っている間の平衡感覚がこれまでと違うように感じました。意外に大きな影響を受けていたようです。つまり、ある程度の重量を持つ物体を左手首につけることを前提としたフォームが、知らず知らずのうちに固まっていたのかもしれません。時計を右手にはめる機会をもう少し増やすべきかも。