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50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

サイモン・ブースの死を悼む

1月の終わりに、鮎川誠の訃報に衝撃を受けた話を書きましたが、その後も思春期以降に影響を受けた人たちが次々と鬼籍に入っていきます。バート・バカラック笑福亭笑瓶ウェイン・ショーター大江健三郎……。

昨日は英国の音楽家、サイモン・ブース Simon Booth ことサイモン・エマーソン Simon Emmerson の訃報が流れました。67歳での早すぎる死。

柳楽光隆氏のnoteで、サイモンが80年代英国で起こったアシッド・ジャズ・ムーヴメントの重要人物であったことがジャイルス・ピーターソンのコメントで示されています。

note.com

僕はサイモンのことはワーキングウィーク Working Week のギター/作曲担当者/プロデューサーとして把握していて、それは柳楽氏の理解と同じ文脈に位置づけられると思いますが、ほかにもいろいろな場所で活躍した人です。一般的には、ネオアコの代表的存在であり渋谷系の源流の一つであるウィークエンド The Weekend のギタリストとして、あるいは商業的に成功したアフロ・ケルトサウンドシステム Afro Celt Sound System の創設者という認識をしている人が多いかもしれません。

名盤Working Nights

ワーキングウィークのファーストアルバム Working Nights はたしか妹に存在を教えてもらったと思います。1985年発表で、高校3年から大学に入学する年にかけてよく聴きました。シャーデーなどを手がけたロビン・ミラーとサイモンの共同プロデュース作品です。

冒頭マーヴィン・ゲイの Inner City Blues のカヴァーで始まります。ストリングスも入ったビッグバンドのアレンジで、間奏でのサックスソロがいきなり転調して始まるところがめちゃくちゃかっこよくてしびれました。その後は寂しげな曲調が続きますが、イギリスというのはこういう感じなのかと思って聴いていて、アラン・シリトーなんかを読む伏線になったと思います。

このアルバム、日本盤はラテンビートのインスト曲 No Cure No Pay で終わる8曲を収録していたのですが、オリジナルの英国盤ではもう1曲あることを知ったのは、大学に入ってからでした。オミットされた Stella Marina は後に日本独自企画のミニアルバムに収録されたのを聴きました。ほぼインストで16ビートにサルサっぽいラテンパーカッションが乗るかっこいい曲でしたが、11分もあったので入れたら音質に悪影響が出ると判断されたのでしょう。

B面3曲目 Venceremos (We Will Win) は、チリのピノチェト将軍によるクーデターのさなかに惨殺された抵抗のシンガーソングライター、ビクトル・ハラに捧げた歌で、アルバムでは7インチエディット版が使われていますが、ラジオでもっとかっこいいヴァージョンを聴いたことがありました。これは上記の国内企画盤に入っていたかな? Jazz Dance Special Version と名づけられた長いヴァージョンで、トレイシー・ソーンやロバート・ワイアットが参加しています。僕が利用しているサブスク音楽サービスにはこのヴァージョンは入っていないと思い込んでいましたが、なんとロバート・ワイアットのベストアルバム Different Every Time に収録されていて、また聴くことができました。ありがとうロバート!

生で聴いたWorking Week

そんな風に聴き込んだワーキングウィークですが、生の演奏に触れる機会もありました。1986年6月のことです。この数年前から、渡辺貞夫がプロデュースするブラバスクラブというイベントが毎年開催されていて、貞夫さんが選んだ世界の注目すべきミュージシャンを何組も連れてきてライヴを行うという、今思えば大変に豪華なイベントがあり、その中の一組としてワーキングウィークが呼ばれていたのです。バブルの恩恵。

会場は渋谷のザ・プライムにあったせいよう広場というライヴレストラン。今あるハコでいうと六本木クラップスを少し大きくした感じでしょうか。大学の友達を誘って行きました。女の子を誘ったけど断られたのだったかな。ライヴの内容はほとんど覚えていませんが、その時点では未発表だった South Africa という曲を演奏したのはなぜか覚えています。反アパルトヘイトの歌。ウェブ上に残っている記録を見ると、貞夫さんもどの曲かでゲストとして参加したようですが、全然覚えてない……。

このときのブラバスクラブ出演者にはブラジルのトッキーニョやスティールパン奏者アンディ・ナレルなどがいて、ほとんどは貞夫さんとのつながりが想像できたのですが、その中でイギリスのニューウェーヴの流れを汲むワーキングウィークは異彩を放っていました。なぜ選ばれたのか説明はあったかなあ……。読んでいたら記憶に残っていたはずだと思うのですが。

近いようで遠かったSimon Booth

そうやって少なからぬ接点があったサイモン・ブースですが、今思えばもっと深く掘ればよかったと後悔しています。

ワーキングウィーク前史のウィークエンドなんかちゃんと聴いたのは今回の訃報に接してからです。音楽雑誌に載っていたジャケ写で音を想像するだけだったという……。ラテンやジャズの香りが思った以上に強くて、ヴォーカルの声質は野宮真貴に似ているし、家人に「これピチカート・ファイヴ?」と訊かれたほどです。

ワーキングウィークのアルバムは数年後に出たBlack & GoldというCDを持っていましたが、エレクトロニクス色が強いハウスになっていて、あまり好きじゃなかったな。

その後、サイモンが大きな役割を果たしてアシッド・ジャズ・ムーヴメントが盛り上がったときも、「アシッドっぽくもないしジャズでもないのにアシッド・ジャズ? 自由でも民主的でもないのに自由民主党のようなものか」なんて思ってちゃんと聴かなかったのは悔やまれます。情報込みでしっかり聴いていたら、この当時からイギリスの音楽シーンでは(ブルーアイド)ソウルやダンスミュージック周辺とジャズミュージシャンの距離が近かったことが実感できていたのではないかと。その流れは今でも脈々と続いているわけです。本気で追いかけていたら、もっといろいろなことが見えていたんじゃないかな。

長い闘病の末だったという情報もありますし、サイモンが住んでいた家をジャイルス・ピーターソンが買ったという話から考えて、経済的にはあまり恵まれなかったんじゃないかと想像しますが、世界中の多くの人に大きな影響を与えたことは間違いありません。充実した人生だったのだろうと思います。彼の魂が安からんことをお祈りします。

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