z is for zokkon

50代男性が健康と幸福を追求する日常をつづります

類音

 研究社の『英語青年』を読んでいたら,raptureとruptureを同音異義語と書いてある記事に出くわして驚いた。大学教授がそんなこと書くかフツー!?
 これで連想したのが辞典の「類音」表示。『ジーニアス英和辞典第4版』は,発音に関してはかなり思い切ったこともしているし,信頼できると想うが,一ついただけないのが,注記。「日本人の立場から見て発音が似ていてまぎらわしい語」に「類音」というロゴをつけて注意を喚起している。これはたしか初版からあると思うけど,逆にこんなの掲げないほうがいいんじゃないかなあ。同じ音には「同音」というロゴが用意されているのだから,カタカナで同じ音になっても「同音」の表示がなければ違う音になることはわかるだろうし,日本人にとって似ているといってもネイティブには全然違う音に感じられることもあるから,かえって誤りを助長するんじゃないだろうか。これは形容詞などのS/D表記と違って今でも残っているので,あまり批判の対象にはなってないのだろうが,冒頭に記したように大学教授でも「類音」と「同音」をつい混同してしまうのだから,あくまでも表示が必要だと考えるなら,もっと違いを強調する呼び方(たとえば「異音」とか)のほうがいいと思う。
 なお,G4でraptureとruptureに「類音」という表示がされているというわけではありません。

元カレ

言語学徒さんがG4をほめている。id:k980504:20070202#1170421477
one's former boyfriend を「元カレ」と訳しているのを現代的だとしているのだが,これはどうだろう。「元カレ」という新奇な語を使うことで,英文と訳文でスピーチレベルが合わなくなっているんじゃないかな。女性の友人同士での気軽な会話ではなくて,もうちょっと深刻な場面じゃないかと思うんだけど……。第4版では,新たに構築したジーニアスコーパスからとったと見られる英文がかなりあって,おもしろいことはおもしろいんだけど,訳が検討不足の場合が多いと思う。
しかもこれ,語義3のいくつかある語義の中で,上位語義の「思いやり,親切」に対応する用例がないのに下位語義の「(異性に対する)言い寄り,口説き」に対応する用例として1つだけ載っているのである。受け狙いとしか思えず,アンバランスな印象が否めない。

さらに,語義3では[通例〜s]という用法指示があるのに,この例文では〜(つまり単数形)で出現している。この用法指示はセミコロンの後にはかからないということなのか? いろいろ疑問が出てくる。

Works for Me

学校では教えてくれないエンジニアリング英語 #4: Works for meで,works for me は「ぼくのところではうまく動くよ」という意味と知って,へえーと思う。work そのものの意味(「機能する」)からそれほど隔たってなくて,自由連結に近い言い回しのような気がするけど。
辞書では work for sb で「…(人)にとって好都合である」という成句の扱いをしているものがある。『ウィズダム英和辞典第2版』(三省堂)は work for A という成句のところに

“Shall we meet at 9:00 tomorrow?” “Works for me.” 「明日の9時に会おう」「いいわよ」

という例文を載せている。
『レクシス英和辞典』(旺文社)はCOMMUNICATIVE EXPRESSIONSに

(It) works for me. それでいいよ(◆了承を表す)

を載せている。
『ジーニアス英和辞典第4版』(大修館書店)は,work の自動詞の項,語義4で「(略式)〔…にとって〕都合がいい, 〔…の〕気に入る〔for〕」として扱っている。用例は,

Does it work for you? それであなたは都合がいいですか

というのをレキシカルフレーズとして示しているが,こういう疑問文の形も定型表現といえるのだろうか。むしろ Works for me. という平叙文の方がよく見かけるような気がする。
Works for Me
John Scofield
B000055Y57

G4問題点(4)

コンピュータ関係の用語のレーベルに少し疑問がある。(商標)というレーベルがついているけど,それが適当なのかどうかぼくには分からないものがいくつかある。規格[プロトコル]が「商標」というのは抵抗がある。実際のところどうなんだろう。

gopherは(商標)なのかな。一方で,次の項目は(商標)ではない。

FTPが(商標)じゃないのは,上に挙げた一群とは異なる基準を用いていることになるので矛盾だけど,それ自体は妥当だと思う。Linuxは確かLinusが商標登録していたと思うので,(商標)をつけるべきではなかろうか。

G4問題点(3)

woman の項がちょっとおかしい。
語義1a)があって1b)がない(数字は丸囲み)。第3版では1bを[形容詞的に]として別に立ててあったのだが,今回の改訂でその用例を含めて語義を1つにまとめた。その際にaを取り忘れた単純ミス。しかしこれはただaを取ればすむ問題ではないと思う。すぐ下にある語法囲みの「(1)複数名詞を修飾する時は……」という記述は,その前段に形容詞的な使い方に対する説明がなければ唐突の感を免れない。それに,woman が形容詞的に使われることはよくあって,学習者がそうした表現に出合って戸惑うことはありうるので,残しておいた方がよかった。

ところで,なぜ[形容詞的に]という用法を語義から削ったのだろうか。形容詞的な用法が特徴的な場合は形容詞を独立させるという方針かもしれない。たとえば,key は「重要な」という意味の形容詞のように使われることがあり,今回から形容詞としても立てている。pocket も同様。一方で,desk の項は語義1に[形容詞的に]「机上用の;机上でする」という記述を残している。これは単に方針が個々の執筆者まで行き届かなかっただけのようにも見えるが,そもそもこの方針は妥当なのだろうか。というか,形容詞用法を立てる基準が少しぶれているのではないだろうか。

key については以前書いたことがあるが,形容詞的な用法が浸透しつつある語なので,新たに形容詞の項目を立てることに違和感はない。[通例限定]と書いてあるのに Speeding up your work is key to your success. という叙述用法の例文も示してあるのはどうかと思うが。むしろ叙述用法も広がりつつあるからこそ形容詞扱いすべき語だといえるだろう。手元の資料には,very key という例も見られる(the very で「まさにその…」となる用法ではなく,「非常に」の意で形容詞を修飾するvery: There's only nine of us, so everyone has a very key vote.)。

これに対して,pocket は限定用法だけだし,比較変化もしないし,very に修飾されるわけでもない。名詞が他の名詞を修飾するという,通常の名詞の用法の範囲内と見ればすむ話ではないか。むしろ desk での扱いの方が妥当だと思う。

名詞の形容詞的用法については,八木克正『英和辞典の研究』(開拓社)の pp. 236-44 に「fun の名詞性と形容詞性」という論考が載っているので参考にした。
英和辞典の研究―英語認識の改善のために
八木 克正
475892130X

G4問題点(2)

気づいた点を少しずつ挙げていく。

eye dialect

発音つづり[視覚方言]はあまり拾うつもりがなかったらしく,下記の項目は記載なし。

  • da (= the)
  • dis (= this)
  • li'l (= little)

kinda, kinder はあるが,sorta, sorter^2 はなし。
shoulda(「非標準」というレーベルをつけている)は載っているが coulda, woulda は載っていない。

レーベルの不統一も見られる。dunno は(俗)だが,gotcha は(略式)。両方「略式」でいいのでは。

口語的表現としては,ほかに rhyming slang(押韻俗語)もほとんど触れていない。
ページ数が増えて(ただし紙を薄くしているので厚さは第3版とあまり変わらない),より一般向けというか翻訳にも使えるようになったのかと思いきや,その辺はあまり手当てしてなかったようだ。意外。

例文

rule の自動詞用法で「最高!」という意味になるのがある(『ウィズダム』での用例は Ichiro rules!)が,これを加えてきたのはよいとして,用例が Yankees rules! となっている。Yankees は単数扱いなのか。それとも,主語の単複にかかわらず rules の形になるのか,注記があったほうが親切。

言い換え

id:zokkon:20060606#p1 で指摘した lawman の言い換えが lawmaker となっている矛盾はそのまま。

G4問題点(1)

『ジーニアス英和辞典第4版』が届いた。まえがきは南出康世先生。小西友七先生の逝去についても付記されている。ぱらぱら見ているが,重要語のフォントがやけに大きいなあ。ちょっと不恰好。
気になったのは助動詞 can の項の記述。語義2の注記。

(1) 感覚・理解などを示す動詞は通例進行形は不可だが can+感覚動詞はその代用表現に近い; ただし×I can notice [know] は不可. (2) 感覚動詞と共に用いるのは(主に英); (米)ではふつう can を用いない

(2)は,いつからあるのかは未確認だけど第3版にもある記述で,ちょっと不思議に思っていた。だって米語の文章でも can see はよく見かけるからね。米語中心,1億語のジーニアスコーパスにも出てこなかったのかなあ。これの典拠はどこなんだろう。
あと(1)の非文情報も,考えてみれば主語が I の場合に限定されるように読めるのでミスリーディングじゃないかな。これも第3版から変わっていない。

446904170Xジーニアス英和辞典 第4版
小西 友七
大修館書店 2006-12

by G-Tools

resource

G3でresourceの項に「資質」の意味が載っていなかったけど,G4では載せてきた。さすが。でも

個人の精神力,気丈《勇気・想像力・決断力など》

とある訳語はいただけない。「気丈」って,ふつう「気持ちがしっかりしている・こと(さま)」の意(『大辞林』)でしょう。

Parks

Rosa Parks の没年が2006年になっているけど,2005年だよね(id:zokkon:20051025)。あと「公民権運動指導者」というのもどうかなあ。「米国の公民権運動の象徴的存在」(『ウィズダム英和辞典第2版』)の方が近いんじゃないの?