少し前にFacebookでたまたま見かけた記事で、アラン・シリトーの長編小説『土曜の夜と日曜の朝』を取り上げたものがありました。シリトーといえば短編の「長距離走者の孤独」のほうが有名で、このデビュー長編が言及される機会は比較的少ないと思いますが、僕は大学に入ってすぐの頃に読んで大好きになり、何度も読み返したものです。
1950年代の英国が舞台。労働階級の若者が工場で働きながら楽しく生きる話です(これでは端折り過ぎか…)。人妻と性生活を楽しんだり、週末には大酒を飲んで暴れたりして放縦に暮らしているように見えて、家族愛の濃さが象徴するように一面ではモラルを保っているところが魅力的に見えたのかなと思います。それまで全然知らない世界でしたし。
なつかしくなってその記事にリンクされた先のAmazonで価格を見ると、案の定めちゃ高くなっていました。実質上入手不可能ということでしょう……(と最初書いたのですが、今見たらそれほどでもなかった。中古なので、価格は当然変動しますね)
かつてアラン・シリトーの作品は新潮文庫や集英社文庫で安く手に入ったものですが、あまり読まれなくなった結果がこうです。
同じように、家人が最近愛読している井上ひさしも、30〜40年ぐらい前には各社から出た文庫本が書店の棚で大きなスペースを占めていましたが、今では見る影もありません。図書館にはあるかと思いきや、開架書棚にはほとんどないので、閉架の書庫に所蔵されているか除籍されてしまったかでしょう。書店も図書館も無限に収納できるわけではないので仕方がないのかもしれません。
こういうことになるから本はなかなか捨てる踏ん切りがつかないんですよね。個人の書棚ももちろん有限ですが。
ホログラム技術みたいなのが進歩して、物質と電子情報を自由に行き来させることができませんかね。自分が生きている間は無理か。
で、話は変わります。靴です。ランニングシューズ。
少し前まで、エリートランナーが厚底のシューズを履くなんて考えられませんでした。それが今や。
その一方で、以前はベアフット感覚の薄底シューズもけっこう出ていましたが、あまり見かけなくなってしまいました。トレーニングには、地面からの反発を推進力に変えるように自分の体をコントロールする訓練になるこの手のシューズが適しているように思いますが……。せめて気軽に試し履きができるぐらいの流通量があればいいのですが。
まあ、売り場面積は小さくなっても、まったく絶滅したわけではないので、見つけたら買っておくようにしたいと思います。
ここでアラン・シリトーに話を戻します。「長距離走者の孤独」のラスト(一応ネタバレは控えます)は矯正院の校長に対する反抗という解釈が一般的だったと思いますが、走る楽しさを知った主人公がそれを十分享受した結果として下した結論だったのだ、という解釈を雑誌『ランナーズ』で読み、はっとしました。長距離走にはそんなふうに思索を深める効果もありますね。