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屋外プールの行く末を案じる

ちょっと前に読んでおもしろかった本を紹介します。ロジャー・ディーキン著、青木玲訳『イギリスを泳ぎまくる』(亜紀書房)。原著は1999年の刊行、日本語版が出たのは2008年です。f:id:zokkon:20220708145827j:image

原題はWaterlogですが、日本語版タイトルが内容をよく表しています。イギリスのいろんな泳げる場所で(本当は泳ぐのが禁止されている場所でも)泳いだ記録です。川や池、湖、海といった自然環境のほかに、堀や屋外プールのような人工物でも泳ぎます。全部で36章ありますから、少なくともそれぐらいの場所を訪れて泳いでいることになります。

本国ではベストセラー、「今やネイチャー・ライティングの名著の一つに数えられている」とカバー袖に書いてありますが、日本ではそれほど売れなかったんでしょう。あまりなじみのないイギリスの地名など固有名詞がたくさん出てきますからね。僕は高校生向けの地図帳を脇に置き、たまに旅行ガイドも参照しながら読みましたが、どちらにも載らないような小さい自治体も多く登場しました。

日本語版の監修を先ごろ亡くなったカヌーイストの野田知佑さんが務めていますが、ゲラを読んで悲しかっただろうなと思うような、工事による川の破壊や外来種の導入による在来種の絶滅といった話題も出てきます。自然保護の先進国たるイギリスでもそうなんですね。日本はもっとひどいだろうと思いますが。

そして、屋外プールも意外にすぐ廃止されてしまうこともわかります。文献を読んで目指して行ったプールがなくなっていることもたびたび。中には、145ページのサイレンセスターのように有志が集まって閉鎖を撤回させた例もありますが。

日本でも屋外プールはよく閉鎖されています。近いところでは、武蔵野市の市営屋外プールが廃止の方向に決まったそうです。学生時代に何度か行ったことのある城北中央公園のプールも、廃止されてプールエリアは立ち入り禁止になって久しいとのこと。屋外プールは風雨や太陽光線にさらされるので傷みが早いのですね。公営の場合は入場料もそんなに高くできないので、運営費と修繕費をまかなうには自治体を頼るしかなく、それも財政難で難しくなっているわけです。

学校のプールを廃止して民間のスイミングクラブに授業を委託する例なんかも増えているようです。すべてがシュリンクしていく時代、助け合ってやりくりしていくしかないですね。

ところで、イギリスを泳ぎまくるという発想はどこからきたのか。第1章に、ウィリアム・モリスのファンタジーと並んで、ジョン・チーヴァーの「泳ぐ人」という短編が挙げられています。村上春樹の翻訳で2018年に新潮社から出た『巨大なラジオ/泳ぐ人』に収録されている作品です。f:id:zokkon:20220708145845j:image

夏の午後、友人宅でのパーティーに夫婦で来ていた主人公は、ちょっと飲み過ぎてその家のプールを見ているうち、8マイル離れた自宅まで泳いで帰れるんじゃないかと思いつく。そして実行する。という話です。

彼は地図制作者の目をもって、その水泳プールの連なりをありありと思い浮かべることができた。それはまさに曲がりくねって土地を横切っていく疑似地下水脈だ。(村上春樹訳。『イギリスを泳ぎまくる』の中ではこの引用部は違う訳文が示されている)

そんなことができるかよ、と思いますが、小説なのでできる。まあ、プールからプールまでは歩くわけですが。

それにしてもこの幻想的な着想の短編小説の末尾は、衰退国の屋外プールの未来を言い当てているようで、ドキッとします。